ブラックシーのエンジニア・ヒュー・パジャム「XTCは世界で最も優れたバンドの一つ。音楽業界の人間は大抵XTCを知ってる。そして知ってる人でXTCを嫌いな人がいない。アンディはディランと並ぶ現代最高の作詞家!」
XTCのブラックシー40周年 ヒュー・パジャムとデイブ・グレゴリーが語る
〜要約を翻訳しました〜
youtu.be
”音楽業界の人間は大抵XTCを知っている。そして知っている人でXTCを嫌いな人がいない。アンディパートリッジはボブ・ディランと並ぶ最高の作詞家だ。本当に天才。” ヒュー・パジャム
- No Languages In Our Lungsはブラックシーで最も好き。ドラム、ギター、全て素晴らしいです。特に優れたドラムキットの例。スペースが沢山ありシンバルも少ない。他のバンドで同じ事をしてもうまくいかないものなんです。普通はドラマーも嫌がるからね。
- テリーは面白い男でしたよ。毎日レコーディング後にスタジオの隅に座りビール飲んで冗談飛ばしてましたね。お酒は仕事が終わるまでは絶対に口にしない。
- テリーはアンディにとんでもない馬鹿げたドラムパターンを要求されてもいとも簡単にやっちゃう。どんなにぶっ飛んでる複雑なパターンでもね。
- XTCは自分が関わったレコードで初めて成功したバンド。まだ、24歳だった。XTCは自分にとって最も愛着を感じるバンド。今でもXTCは世界で最も優れたバンドの一つだ。
- アンディは現代音楽の中で最も優れた作詞家の一人。彼はボブ・ディランに匹敵すると心から確信しています。詩的な観点からと言うより、とにかくアンディは天才なんです。
- 例えばエド・シ−ラン、アデル等の現代の若者の歌詞は”アイラブユー”とか言ってるだけで酷い。メロディーにしてもアンディパートリッジとは比較も出来ませんよ。本当に、素晴らしいんです。おっと、彼がこれを聞いてないと良いんだけど。(デイブ「絶対に聞きますよ!」)
- ドラムス&ワイヤーズの大人版というのがブラックシー。
- コリンはセッションプレイヤーとして雇おうとは思わないけど、本当に優れたベーシストでしたよ。自分が優れていることを知らなかったんじゃないかなあ。あるいは知っていたかも。とても面白いベースサウンドなんだよね、良く変な形のベースを演奏していましたよ。
- コリンのベースラインは本当に素晴らしく、先日ブラックシーを聴き直していて、非常に過小評価されてるなと思いました。彼のメロディアスな面はベースプレイを通して表現されてるのかなと思いますね。アンディよりメロディアスな曲を作ってたからね。
- コリンは、ザ・フーのベースのジョン・エントウィッスルのような、特にツンとしたサウンドが無くて。ザ・フーのレコードを聴いてると、ギターなのかベースなのかわからなくなることがあるんですよ。コリンは昔ながらの伝統的なベースを弾いていて、それはトップが全く欠けていて、全てローエンドのサウンドって感じで。時々、自分はコリンのこのようなベースサウンドを最大限に活用したのかと思ったりしますが、、うーん、出来たと思ってます。
- オーディオのサウンドクオリティの歴史を見ると不思議な気持ちになるんだよね。CDの音は良質なビニール製のLPに比べて劣ってます。次にCDがMP3に移行したんですが、音の劣化したCDに比べて更に音が劣化しています。それと並行して動画の世界は、白黒や線の入ったテレビの画面から、今や4Kスーパーハイビジョンに至っています。これはすごいことですよ。残念なことに、大半のところオーディオはビデオの進化に追いついていない。
- (ボーカルが大抵オートチューンされる様な現在のレコーディングの形について)70年代や80年代のレコーディング黄金時代にこの業界に入れたのは本当に嬉しいし、幸せだったんだなあ。
- あの頃のレコーディングはスタジオにみんなが集まってレコーディングした。ブラックシーでは、ドラムトラックはテリーのヘッドフォンでメトロノームのクリック音が鳴っていたかもしれないけど、今はすべてがロジックプロツールのグリッドに録音してるので、音楽に”動き”が無い。
- 現在のレコーディングでは、誰かがコーラスを歌うと、そのコーラスを他のコーラスにコピペするだけですよ。すぐにできてしまうから。僕たちの時代、つまり80年代初期のブラック・シーの時代などは、すべての
- コーラスを別々に歌わなければならず、曲のすべてのコーラスのパートで歌わないといけなかったんです。最初のヴァースと次のヴァースに同じギター・パートがあったりしてね。
- 先日、ブラックシーを聴いていて気がついたんですよ。Love at First Sightではボーカルにエフェクトがかかっていて、"sight"と言うところで大きなエコーのようなものがかかってるんです。最初の"sight"のエコーは凄く大胆で、「これはちょっと大胆だな」と思いきや、次の"sight”のエコーはそれほどでもなくて、毎回同じでは無いんですよ。それは、ミックスの際にも、楽器のプレイと同じ感覚でやってた。ミックスの時、あるいはダブやボーカルなどを録音する時も、毎回仕上がりが違うんですよ。ほんのわずかな違いであっても、それが全体のサウンドを作り上げるんです。
”XTCの暗黙のルールは次のアルバムを前回のアルバムより向上させることだった。それが僕らにとって15年間最も大事な事だった。そのために家庭さえ犠牲にした” デイブ・グレゴリー
デイブ・グレゴリー
- ブラックシーはXTCメンバーとして参加した二枚目のアルバムなんです。ドラムス&ワイヤーズが完成した後はまだ、バンドで2枚目の参加にまで行けるかどうか確信が持てなかったですね。ブラックシーでも参加が決まり、ようやく自分もこのバンドの一員になれたと思いました。XTCは僕との契約をブラックシーのアルバム・セッションが始まる直前まで先延ばしにしていたのを覚えてますね。僕は1年間、試用期間のようなものだったんです。僕が参加することで、このプロジェクトが実際に成功するのか、何を期待すればよいのか、誰にもわからなかったからね。
- ドラムス&ワイヤーズは初々しいナイーブさがあった。ブラックシーでやっと大人の階段を上り詰めたって感じでした。遂に到達できたなと。
- XTCの暗黙のルールは、”次のアルバムを前回のアルバムより向上させる”ということでした。そのために自分たちを前へ前へ向上させる。僕らにとってそれが15年間最も大事な事だったんです。そのためにメンバーは家庭さえ犠牲にしましたよ。これらの新しい曲を、次のアルバムをどうやって凄いものに仕上げるか、そのためにどのプロデューサーに頼むか等。自分たちの作品を向上させるというその野心一筋で常に前進してきたんです。
- アンディは素晴らしいリズムギターリストで尖った演奏が得意でした。彼のザラザラしたギタートーンをスムーズにしてあげるのが僕のギターの役目だったんですよね。
- Love at First Sightの曲の例の1音だけのギターソロをライブでやる時、良くアンディは上下に飛びながらどんどん速度を上げてくるくる回り、ギターソロが終わると足がケーブルでぐるぐる縛られて立ち往生になってました(笑)。
- コリンは凄いベーシスト。例えば、Roads Girdles the Globeのコリンのベース、この凄いベースライン分かるベースプレーヤの人います?自分には理解できない!訳が分からない。何なんだこれ!
- No Language in Our Lungsについてはヒューに同意です。特にこの張り詰めたような緊張感が最後のコードで解かれるまで、徐々にゆっくりと高まっていくという、メンバー全員のものすごいパフォーマンスですよ。
- Nihilonは ブラックシーの中でも特に好きな曲。アルバムを締めくくる完璧なエンディングナンバーです。悪魔的な暗黒の邪悪さを感じさせる曲というのがアイデアでした。
テリーが演奏したタムタムのリズムがぐいぐい駆り立てるんです。オスティナートのギターリフは最後まで変化せず、この真っ暗い闇に向かってどんどん押し進んでいくんです。素晴らしいと思いましたね。実は最後のサビの部分でケイト・ブッシュにバック・ボーカルでうなり声をやってもらったら最高だろ?というアイデアがあったんですが、もちろん実現はしませんでした(笑)。レコーディング中に僕らが勝手に思いついた妄想の一つでした。 -
Love at First Sightといえば、ヒューが「sight」という言葉にエコーを掛けたことを言ってたけど、今でも覚えているのは、テリー・チャンバーズが夕食後に奥のソファに座ってビールを数杯飲んでいて、ちょうどヒューがミックスをしてると、テリーが片手にビール、片手にタバコで、「ヒュー!"sight, sight, sight, sight!"ってやつ、やってくれよ!」とちょっかい出すんです(笑)!。タバコを指に挟んで身振り手振りをしながら、ずっと言い続けるんですよ。ヒューは、「テリー、分かってる、大丈夫だよ!すぐにそれをやるから!心配すんな!」(笑)って言って。それでも、テリーは "ヒュー!, sight, sight, sight, sight!" (笑)!から、今ではそんなことをしたらスタジオから追い出されてしまうでしょう(笑)!
ゲスト:デイビッド・ヤズベック
- Burning with Optimism's Flamesを聞いて感動したことを、今でもはっきり覚えてます。初めてインド料理を口にした時のようにはっきりと。歌詞だったんです。最初の方で、”彼女の頭から放つオーロラがナバホ毛布の模様のように地面や周囲に光放っている”と歌ってるんだけど、この歌詞を聞いたとき、頭の中では2つのことが起こったんだよね。歌われたメロディーが、歌詞の「ナバホ毛布のようにオーロラが地面に届き周囲に光放っている」ということを文字通り表現しているという感覚、そしてナバホ毛布(光を放っているような柄の毛布)がどのようなものか知っているという感覚が組み合わさったんです。当時の彼女がニューメキシコ出身で、当時ナバホ毛布を持ってたんですよ。この箇所のメロディは歌詞にあるオーロラのように下に向かって伸びていき、そして予想するよりも更にメロディーが続いて、ちょうどナバホ毛布(の光を放つような柄)が地面に落ちる感じなんです。もう、これは僕にとって、多大な影響を与えた2小節の音楽と言えたんです。