XTC Best Band Ever

XTC is the best band ever. Period.

テリーチャンバーズのレアインタビューPART3:XTC時代を遠い目で語る「XTCのギターリストオーディションにきたデイブにStatue of Libertyをやれと言うと“シングルバージョンか、アルバムバージョンか?”と聞かれた!自分でさえその違いはわからないのに(笑)。俺の心は決まった!」

Part2の続き~

 

テリーチャンバーズの2002年レアインタビューPART3:XTC時代を遠い目で語る

 

Chalkhills

July 5, 2002

by Todd Bernhardt

 

テリーチャンバーズの2002年レアインタビューPART3:

 

冷えたビールを片手にリラックスしXTC時代を遠い目で語る

A conversation with Terry Chambers

 

XTCのギターリストオーディションにやってきたデイブにStatue of Libertyをやれと言うと“シングルバージョンか、アルバムバージョンか?”と聞かれた!自分でさえその違いはわからないのに。俺の心は決まった

 

 

 

(前置き:原文は非常に長~~いので、かなり中略しましたので、原文と照らし合わせるとかなり短くカットされてます。たぶんPart4ぐらいまでいきそう。)

 

TB(インタビュアー): テリーがああいう凄いドラマー達を見て、すっかり気がくじけたって言ってましたけど、僕も全く同じ気持ちです。凄いドラマーを聴くとやる気を奮い立たされるのですが、一方ではもう二度とドラムスティックを手にしたくないと思ったりもします。

 

TC(テリーチェンバーズ): 圧倒されるんですよね! The Yes AlbumとFragileの時代に、アラン・ホワイトの前にブールフォードがイエスでプレイしてるのを観れたのはラッキーでしたねえ。

 

TB: 僕は一回もそれは観た事ないですね。 きっと凄かったでしょうね。

 

TC: ああ、凄かったですよ。 最初イエスを見た時、トニーケイがキーボードを弾いていたんです。二度目は、リック・ウェイクマンがキーボードで、Fragileのアルバム時代でした。もう、ワーオと言う感じ。

 

TB: ええ、それは凄いラインナップでしたよ。

 

TC: いまだに、彼らのCDは買っていますし。女房がプログレとか大嫌いでね。聴いてるのはマイケル・ボルトンですから(笑)!でも、僕は今でも奥の部屋に座り、何本かビールを開けて、そういうアルバムを掛けて聴くわけ。 自分だけの世界に浸るんですよ!

 

ああいう音楽が大好きなんで。あんな感じの70年代のアルバム。いまだに好きなんですね。公正を期して言うなら、たぶんイギリスのドラマーの影響しか言っていなかったみたいですが、Grand Funk Railroad、Edgar Winterとか、ああいう人達もいますよね。

 

“Frankenstein”なんか、永遠にターンテーブルに置いてありますよ。 Grand Funkのライブのアルバム。息子のカイがずっと聴いていますね。 あのソロ----名前何でしたっけ?Brewster、Brewer?

 

TB: ドン・ブリューワーだと思いますが。

 

TC: そうですよね。 冗談だろって言いたくなるほど 凄いです。 3人組のも。

 

TB: はい。 歌うドラマーでもある。

 

TC: なんというアルバム! もちろん、ジェームス・ギャング--- 大好きだ。 うーん。名前を思い出そうとしているんですけど。悪いですが、多分忘れ去っている事が山ほどあって。でも、アメリカバンドでもたくさんいます。 モントローズ、サミーヘイガーとか、ああいうタイプのプレイヤー -- まあ、ギター奏者になっちゃいますけど。ああいう感じのが本当に素晴らしいです。 ニューヨークドールズ、ルーリード…

 

TB: そうですよね。あのタイプの音楽に若い頃大いなる影響を与えたんですよね?

 

TC: そうです。

 

TB: というのも、Andyもそうだったらしいですから。

 

TC: そう。 いや、実は、Andyは、おそらく、Colinや僕よりずっとアメリカの方に影響を受けているはずです。 Andyはもう少し -- えー、なんて言うか、あいつの方がずっとアメリカの音楽を聴く機会があったんですよ。

 

BarryとDaveの交代は価値のある事だった。バンドの為に良かった。彼が難しいプレイをしてくれるので、Andyはリズムギターと歌に専念出来たからね [笑]

 

TB: そうですね。 Andyはレコード店で働いてたんですよね?

 

TC: うわっ!それは知らないな! あの頃、Andyはアーチストの仕事をしていたわけ。 ええと、何だっけ、あいつがやっていたのは。ラベルを書いたりするような仕事。今では、なんと言うのか知らないんですが。

 

TB: グラフィックデザイナー。

 

TC: ええ、そういう職業。 あいつは音楽よりそういう分野に関心があったんじゃないかな。 それに、専門学校にも行っていて、学校の仲間達がイギリスよりアメリカの輸入音楽の多くに影響を受けていたみたいですよ。それでAndyもちょっと夢中になって、Colinも僕に聴いてみろって教えてくれたんですよ。

 

TB: 演奏のテクニックと、いくつのか曲について話していましたよね。 一時期、オフビート、"ウラ拍"の所でハイハットを多用してましたよね。 ピースープ(豆のスープ)って言い方をAndyは好んで使っていましたけど。 多分、最初に聴いたのがMeccanic Dancingで、その後、Helicopterとか、Generals And Majorsなどのような曲でも聴けました。

 

アンディ・パートリッジが、実際に踊るところを見れば、いかにあいつの言う“ダンス”ナンバーが全然踊れないナンバーなのかが分かる!

 

 

TC: ええ、Meccanic DancingがAndyのいわゆる”ダンス”ナンバーのひとつ。 (皮肉で)そりゃあ、もうノリノリで踊れる!アンディ・パートリッジが、実際に踊るところを見れば、いかにあいつの“ダンス”ナンバーが全然踊れないナンバーなのかが分かる! 多分 “はいはい、そうですね、踊れますよね!”って言いたくなりますよ!

 

もし、みんながアンディみたいなダンスが出来れば、もし、世界中の人々にアンディみたいなダンスをやらせることが出来れば、もう大ヒット間違いなし (笑)!

 

アンディが踊る姿がまた頭に浮かびますね。本当に、時々踊ってたんですよ。元々、一緒にいて楽しい男だったけど、あいつのダンステクニックときたら、とんでもないくらい可笑しいのは保証しますよ。

 

TB: [笑] Andyに、“それを少しやってくれ”と言われたのか、それとも、そのようなテクニックを用いた他の音楽に魅かれていた‘のか、それとも...?..?

 

TC: あの時までには、ドイツとヨーロッパのツアーを二度くらいやったので、ヨーロッパの雰囲気を帯びていたんじゃないかな。 ドイツで、このメカニックなディスコタイプの音楽がブームで。 1つだけ考えられるのは -- ドイツのバンドのCanにAndyは非常に大きな影響を受けていたってことです。

 

Canはかなりメカニカルだったんですよね。 多くのこういうドイツのディスコミュージックは、すごく構造的にすごくきっちりしてるわけ。もっと良い方があるかもしれないけど。 精確なわけ。 -- 音楽がここできっちり始まって、3分経つときっちり終わる。というのも、ラジオでは3分プレイされるからです -- そういう感じの音楽。 EnoとBowieはドイツで色んな音楽を実験してるわけ。ケルンのミュージックシーンも活発に展開されていたようですね。 それにアンディはすごい興味を持ってたんです。

 

当時の曲にいくつか -- 例としてMeccanic Dancingとかは-- ずっと、ヨーロッパで聴いていた音楽の影響下にあったのではないですかね。 この曲は商業的な成功を狙ってやったわけではないんですよ。だって、聴けば分かるでしょう。いかにも、“これは商業的な成功を自ら絶つ曲!”でしょ (笑)。でも、確かな影響があるのが、分かりますよね。

 

TB: 確かに。 もう一つ気付いたことは、あの時期に既に、その後、更に顕著となるテリーのドラムテクニックです。--- パターンを一度決めると、そのまま曲をとおしてずっと同じパターンを叩き続けるんですよね。

 

TC: そうです。さっきも言ったけど、隙間を作るってことなんですよ。

 

アンディが音楽に対して、もう少し実験的な事をやり始めたので、録音プロセスの最初の段階ではアンディ自身が何をしていいかわからなくても、僕がスカスカのドラムパターンをプレイさえしておけば、後の方で色々アイデアを付け加えられたんです。 隙間を、全部ドラムで埋めてしまい、曲のどこかに入れられて録音されてしまったら、あいつに他の事を試してみるスペースが足りなくなってしまうから。

 

だから、あれが、ほとんどお決まりのパターンになってたんです -- アンディが言うわけ “これをやってみたいから、すこし隙間を残しておけば、後でこれをする余地がある”って。

 

ベースとなる歌、及び歌詞は既にあるんです。その上で、アンディは、まだ、少々他のアイデアを入れられるように制約をかけたかったんですよ -- 制約、なんて言いましたけど、でも、制約という言葉の最も良い意味で -- ドラムがする事を制約したかったんです。

 

だって、もし僕が"バーン・カーン・ガッツン”って最後までプレイしてたら、アンディはあちこち部分的に取り払っていただろうから。 そうする代わりに、アンディは”ここで少しキーボードのパートを入れたらどうかなって考えてるんだが、しっくりいくかどうかわからない。だから、まずはやってみよう。このリズムが欲しいってわかっているから”って。僕はそういうアンディのやり方を、まあ、それだったら妥協できるさって思ってました。

 

TB: 多くの若いドラマーが、オーバープレイという恐ろしい誘惑に負けてしまう。でも、テリーの場合は、歌をサポートし、歌のために必要最低限の事だけをすることに完全に満足していたようですよね。

 

TC: それと、音楽的な能力が欠けていたってことに尽きるかも[笑]! 分からないですが、なんとも答えにくいですね。 実は、おかしいんだけど、ジョンレッキーに言われた事がありましたね。あるシンバルの音であれこれ考えていて、ジョンに、シンバルの音をこんな風な音にしたり、あんな風にしたりしたいと色々注文つけたんですけど、本人を相当イライラさせたようでした。 それでジョンはただ一言、“そうしたらもっとレコードが売れると思う?” 結果、彼に同意せざるを得なかったです [笑]! ”それはないだろうな、” ”わかった。もうやめよう[笑]! ” 

 

 

“Daveは非常に貴重な存在。Barryとの交代は価値のある事でバンドの為に良かった。それにおとなしいからAndyに言われたとおりに従うタイプだったので良かった(笑)!”

 

TB: ジョンレッキーの話が出ましたが、それはGO2の時代ですよね。あのアルバムでテリーはBattery BridesとLife Is Good in the Greenhouseでサイクルドラミングに気が付きました。 一方、XTCに大幅な変更があったんですよね -- プロデューサー交代、キーボードプレーヤー脱退、ギタープレーヤー追加。 このような変化をどう捉えていましたか?

 

TC: うーん、ファーストアルバムは、実質的にはいつもリハーサルでやっていたように演奏して録音しただけ -- たいした変化はありませんでした。 あれは、かなり急いでレコーディングして、ほら出来たよって、叩きつけたような感じ。

 

GO2になると、ちょっとソングライティングに変化が訪れるんですね。 Colinはいつもよりもっとレコーディング作業に関わるようになって、Barry Andrewsもそう。スタジオも違う所でした。 明らかに次の段階へと進もうとしている時だったんです。

 

Andrewsは、ソングライティングの観点から、もっと自分のアイデアを取り入れて欲しかったんですよ。

AndyはAndrewsの楽曲は、バンドが目指す方向とは違っていると感じたわけです --

 

その結果、バリーは去った。 Colinと僕、多分Andyも、最初の2枚のアルバムはおそらくガッツに少々欠けていたんじゃないかなと思ったんですよ。 思うに、僕らがレコーディングで学んだことがあるとすれば、音楽を入れれば入れるほど、アルバムは静かになるという事。

 

XTCは、ライブでは、かなりうるさいバンドだった。なのに、初期のアルバムではそれが出ていないんですよね。 "爆音じゃないならこのアルバム聴くな!”って大々的に掲げていたにもかかわらず、実際にはそれほどラウドなサウンドではなかったんですよ。僕らは、もっとちゃんと、ライブのようなうるさい音をレコーディングでも出したかったんですが。

 

そこに、Drums And Wiresが登場したわけ。 全体的にサウンドがビッグになったんです。 前の2枚のような突拍子のない感じがやや薄れましたね。 キーボードがいるバンドから脱却し、ギター志向のバンドへと戻り、XTCは元の形に戻ったって事。

 

最初の2枚のアルバムにおいて、2番目のリード楽器がキーボードだったんです -- Drums And Wiresでは、Daveがギタープレーヤー兼キーボードプレーヤーでしたから。 Daveは非常に貴重な存在で、Barryとの交代は価値のある事だったわけです。バンドの為には良かった。

 

デイブが難しいプレイをしてくれるので、Andyは、リズムギターと歌に専念出来たんですから [笑]! そう、だからAndyは喜んでましたよ。それに、Daveは物静かで言われた通りにするタイプだったので[笑]、ちょうど良かった!  

 

TB: スティーリリーホワイトとジョンレッキーと一緒に仕事をしてみて、二人の違いは何でした?

 

TC: 僕らみんなUltravoxのアルバムでリリーホワイトがやったプロデュースが気に入っていたんです。Peter Gabrielのプロデュースも少しやっていた。 LillywhiteはLeckieに比べドラムとベースのサウンドが良いように思えた。Leckieはギターとヴォーカル志向のプロデューサーだったんです。

 

TB: 確かに。 バリーに比べて、Dave Gregoryはバンドで上手くやっていましたか?

 

TC: 結構、上手く打ち解けていましたね。 オーディションらしきものをしたんですが。僕らが、“’Statue of Liberty’をやってみろ” と言うと、Daveは“シングルバージョンか、アルバムバージョンか?”って聞いたんですよ。 (笑)

 

TB: [笑]うん、こいつはいけそうだ!

 

TC: 思いましたよ、“何だって?俺でさえ二つの違いなんて分からないのに!” 自分なんかへまばっかりしながらやってきたのに。 “スゲェ、もうそれで十分だ。あの二つのバージョンの違いがわかるっていうなら” Andyに言いましたよ[笑]、“おまえが決める番だぜ、俺は今の質問でこの男に決めた!