XTC Best Band Ever

XTC is the best band ever. Period.

最新リマスター版NONSUCHライナーノーツ訳:コリン「レコード会社からのプレッシャーでアメリカでの成功を維持するためアメリカぽいサウンドを入れようとしたが、そこは当然XTC、結局英国臭さを隠すことは出来なかった」

XTC NONSUCH THE SURROUND SOUND SERIES

 

ライナーノーツ BY Colin Moulding

 

究極ポップNonsuchが感動に震えるサラウンドサウンドと美し過ぎるニューミックスで見事に蘇った!APEからリリース(Blu-ray版は特典一杯)!

 

 

colin moulding liner notes.JPG

 

この業界で成功するのは最高の気分だ。でも、成功し続けようとするとガッカリしたりする。 Oranges And Lemonsのアルバムセールスはアメリカでは快調だった。Dear Godが引き金となりXTCのアメリカでの躍進は続いていた。(Dear Godは、当初シングルGrassのB面だった。ところが、ラジオプレイされ始めたため急遽A面に変更されると同時にヒットとなった。その結果、Skylarkingに追加。売り上げに必要だった勢いが付いた。)

 

と、ここまでは良かったのだが、せっかく収めた成功の危い坂を転げ落ちるのを防ぐにはこの世の終わりの日まで毎回アルバムヒットを繰り返さなければならないなんて誰も言わない。キングコングと同じく、「アメリカでの成功」にも餌を与えないといけないわけだ。

 

アルバムの一曲をアメリカでヒットさせることにレコード会社のトップが意気込んでしまったら最後。この曲に対してこうしろああしろと注文を付けてくる。それが、曲に過度なまでのプレッシャーを与え、注意していないと、期待に潰され楽曲が台無しになる。そして、ふと気づくと、レコード会社のご機嫌を取るためだったらサーカスの輪さえくぐるくらい言いなりになってしまっている。

 

Peter Pumpkinheadにはそういうレコード会社からのプレッシャーがあった。アメリカで収めた最初の成功を維持するために最も有力なヒット曲候補だった。完成した曲は、レコーディングの当初より(レコード会社にもっとアメリカにウケる音にしろと言われ)アメリカンサウンドなっていたのは確かだった。

 

しかし、良い歌っていうのは本来手に負えない性質のもの。(どんなに他人の意思が介入されても良い曲とは完全に他人に支配出来るものではないという意味。)だから、完成版はAndyのデモ版より多少おとなしくなってしまったものの、僕らの演奏は素晴らしいし、個人的にもAndyの楽曲で特に好きな曲になっている。

 

XTCがやれば、シングルに選ばれた曲は更にシングルに相応しい曲になるし、エキセントリックな曲は更にエキセントリック度を高める。だから、XTCのアルバムには時々風変わりな曲が紛れ込んだりする。

 

僕らはキングコングに餌を与えられるだけ与えたものの(レコード会社に言われる通り「アメリカの成功」を維持するためアメリカにウケる音を入れようと努力したと言う意味)、そこは当然XTC、僕らの本来の性質である放縦さや、英国らしさや、田舎の風情、それらが出てしまった。それがノンサッチ。

 

このアルバムは、それらの全てを集めた塊と言える ― 徹底的にキャッチーなサウンドがあるかと思うと、‘リドリ、ディドリ’風(Van CantoのWishmaster)のヘビーなギターサウンド(ミュージシャンはみんな好きだよね?)があったり。言わば、それがXTCとの戦場。

 

僕らの音楽スタイルはヴィダルサッスーンのヘアスタイルよりバラエティに富んでるってわけ。

 

ノンサッチのプロデューサーを決める時、いつものごとく数人の名前が噂された。まず、スティーブ·リリーホワイトが乗り気になってくれた、が、すぐに断ってきた。今度は、ジョージ·マーティン(ずっと要望していたお気に入りのプロデューサー)にチャンスを与えてみた、が、すぐに厳かにお断りすることになった。レコード会社が彼は雇うには高過ぎすぎると判断したため。

 

そして、当然、そこに あの‘昔馴染みの仲間’(Andyの事)が登場する;あいつどうしているものか? - その後はいつものパターンとなる。つまり、僕は “(Andyに向かって)おまえにまかせるよ、ちょっと一眠りしてくるからリングマスターが見つかったら起こしてくれ”って言うわけ。サーカスのリングマスター(団長) --- プロデューサーって結局そういうものだから。僕らが口論したり、あまりにも無節制にやりたい放題するのを阻止したりする人間。すなわち、レコード会社がバンドに服用させる鎮静剤。

 

結局、このアルバムの‘鎮静剤’役となったのは、運が尽きた感のあるこの道のベテラン、ガス·ダジョンという錠剤だった。

 

名前というのは良いイメージ、悪いイメージを伴って過去を思い出させる。ダジョンという名前を聞くとレコードが慌ただしくあっという間に作られた --- 時にはたった一日で --- という懐かしい時代のイメージが湧く。

 

ガスはアルバムについて話し合うため僕たちの地元のパブにやってきた。バットマンの大敵のペンギンを思わせるド派手ないでたちで車からさっそうと降りてきた。いかにも音楽業界の人間の臭いをプンプンさせて。思ったのは “ここら辺であんなカッコしてたら誰かにボコボコにされる...あるいは、俺がボコボコにされる”

 

(略)

 

僕はガスに好感を持っていたし、あの厳格なアプローチも気に入っていた。プロデューサーというより軍隊の曹長というタイプであった。

 

(略)

 

ガスのプロデュースのやり方は上手く行ってると思っていた。バンドに良いパフォーマンスをさせたし。アーチストからそういうパフォーマンスを引き出す特性はたいがいないがしろにされるものだ。ただし、Andyにとってはああいう‘練兵場’的なやり方がそれほど適切であったかどうかは分からない。初期の段階で既に彼にはとってはまずいことになりそうだろうなあという気はしていた。だから僕は自分の曲をさっさと録り終えると、あとは耳に指を突っ込んだ。

 

~続きはまた次回~