XTC Best Band Ever

XTC is the best band ever. Period.

最新リマスター版NONSUCHライナーノーツ訳後半:コリン「プロデュースしてもらう気がないならアンディが自分でやれば良いだろと思った。でも、レコード会社はアンディにプロデューサーを使うことを強要した。色々あったが後悔はない。友よ、思い出をありがとう」

XTC NONSUCH THE SURROUND SOUND SERIES

 

ライナーノーツ BY Colin Moulding

 

究極ポップNonsuchが感動に震えるサラウンドサウンドと美し過ぎるニューミックスで見事に蘇った!APEからリリース(Blu-ray版は特典一杯)!

  

最新リマスター版NONSUCHライナーノーツ訳後半:コリン「プロデュースしてもらう気がないならアンディが自分でやれば良いだろと思った。でも、レコード会社はアンディにプロデューサーを使うことを強要した。色々あったが後悔はない。友よ、思い出をありがとう」

 

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録音セッションが行われた ‘チッピー’(Chipping Norton)は、古い校舎を改造したスタジオ。遊び場みたいなところに宿舎があるところ。地方色に溢れ、強烈に英国的で、極めてXTCらしい土地。Oranges And Lemonsのアルバムで滞在したロサンゼルスと、あのケバケバしさからは程遠い。

 

あの夏はイギリスの田舎風情とアメリカの派手さという二つの対極する要素を自分の内部でなんとかうまく調和させなくてはならなかった。イギリスってところは ‘お茶を嗜む国’。くつろげて、こじんまりして、礼儀正しい(大抵は)。アメリカのような重役会議室のテーブルをバーンと拳で叩くようなアプローチ、何かと言うと商売の話ばかりの堅苦しいところとはちょっと違うわけ。結局、あのアルバムではXTCはイギリス風だったのか、アメリカ風だったのか良くわからない。実は、今でもわからないのだ。

 

どちらにしろ ‘チッピー’は最高だった。アメリカで受けたああいうプレッシャ―をすっかり忘れさせてくれたばかりか、イギリスのポップミュージックとの素晴らしい繋がりがあった。

(略)

 

91年の夏、コッツウォルズという土地は最高に美しかった --- あそこはいつも良い気分にさせてくれる。一方、レコーディングスタジオの雰囲気は悪化しつつあった。セッションは順調に進んでいたが(少なくともそう思われた)、過去に起こったあの不快なる問題が再び表面化し始めていた…つまり、性格の不一致。アンディパートリッジとガスの議論 --- 最初はフレンドリーな舌戦だったが --- だんだん荒い口調になり始めた。自分はその口論には一切立ち入らなかった。

 

プロデュースしてもらう気がないなら自分でやれ、というのが僕のスタンス。アンディだったら自分で全部出来ただろうに。どうせ満足できないなら、あんな高い金を払ってプロデューサーを雇う意味ってないよね?

 

ところが、残念な事に、毎回レコード会社はアンディに 'プロデューサー’という名の鎮静剤の服用を強制した。それで仕方なくアンディはプロデューサーを受け入れた。時にはあたかも苦い下剤をスプーンで飲まされるように。

 

ポール·フォックス、スティーヴ·リリーホワイト、その他のプロデューサーという肩書きをもった人物たちはバンドを自分の意見に従わせる能力を持つ如才なく人をあしらえる達人であった。彼らにはそういう素晴らしい資質があって、僕らの過去のレコーディングで効果を発揮し助かった。思うに、ガスはロバを叩く棒は握っていたが、ご褒美であるニンジンをあげるのをすっかり忘れたのだ。それは自分には効果はあったが ---多分、仕事を進めるのにちょっと誰かにつつかれるのを必要としていたから。

 

まあ...レコーディングアーチストというのは繊細なタイプだから... 朝食のCoco Popsシリアルには必ず全脂肪牛乳でないとブチ切れるみたいな連中だよね?ガスをプロデューサーにしてアンディはどうなるのか予想はついていた。でも、みんなもう良い。誰のせいでもない。単に相性の悪い組み合わせだっただけ。

 

季節は秋となり、ミキシングスタジオに行くのは避けたいと思いながらなんとか波乱を乗り切った。すると、ガスはひとりでミックスをしたいと言ってきたので、僕は行かなかった。結局、彼にはミックス作業は出来なかった。今では周知の話だが、その後、物凄い口論になったのだ。僕はそれには一切関わっていない。その結果、ガスはお払い箱になった。彼を失ったことには不安を感じたし、ガスがミックス完了に向けて味方になってあげなかった僕を怒っているのは知っていた。でも、彼がやりはじめたミックスを聴いてこの僕でさえベストと言えるものではなかった。なのに、ガスという人は、それを面と向かって言えるような人ではなかったわけ。

 

今でも彼は偉大なプロデューサーだと思うし(彼は数年後に自動車事故で亡くなった)、僕らのアルバムを最高のものにするのに努力してくれたのは確かだが、彼のミキシング·スタイルは僕たちにはピンと来なかったのかも? ミックスにも彼には特定の何かを期待してたわけ。でも、それはそれで良い --- 単に一つのことに優れているってだけで。ニックは、このアルバムの後、世界でも有名なミキシングエンジニアになったし、ガスはガスで歴史に残るレコーディングプロデューサーになったのだから。

 

では、何が問題かって?ああいう争いが無ければこのライナーノーツで何も書くことはないだろう。だって、レコーディングは万事順調に行ったよ、なんて話を読んだってみんな死ぬほど退屈になるだけ。

 

分かったのは、アーチストっていうのは日が暮れるまで(直訳:牛がのろのろ牛小屋に帰ってくるまで)レコードをいうやつの溝にどうやってすべての魔法を注ぎ込むのか、あーでもない、こーでもないと言い争うものだってこと。それこそがアーチストの探求の旅。まあ、色々あったが、どれも経験出来て良かった。みんな、思い出をありがとう。