XTC Best Band Ever

XTC is the best band ever. Period.

【翻訳記事】元XTCのハチャメチャキーボーディスト、バリーが赤裸々に綴る「XTCでの最後の数か月間はアンディを恨んだが、自分でバンドを持ち、彼のXTCでの苦労が分かり許すことが出来た」

元XTCキーボード 
バリーアンドリューズのブログ

XTCでの自分は本当の自分ではなかった...” 

バリーが自分のブログで赤裸々に語る:

SHRIEKBACK — Keyboard Playing Part 2: '75-79 (or: 'I'd been...

XTCでの最後の数か月間はAndy Partridgeを猛烈に憎んだ。自分のバンドを始めて、自分の理想通りのバンドに作り上げようとした時に、初めてAndyへの同情心が湧いた。自分の思うようなバンドを作るのは傍で見るよりずっと難しかったからだ。

 

性質: 人または物の基本的な質; アイデンティティあるいは要となる性格。

補助物: 組織、施設、業界あるいはシステムの主となる活動や運営に必要な支援を提供すること。

あなたの性質は何? "アイデンティティ、あるいは要となる性格とは?

 

何かチャレンジを開始する初期にそれを理解することが人生の成功への鍵であることは確かだよね?

人によっては難しい。 一生分からないままの人もいる。 中には初めから疑いの余地なく明確である人もいる。

 

では、僕の性質とは?簡単。自分で何かを作る事。

 

この世にまだ存在しないものを考え、存在するようになるまで作ること。現在も、これからも、疑う余地もなく、僕の性質。

 

子供時代を振り返れば、それが自分の性質だった(物語、音楽、物、誰もが認めた:僕はクリエイテイブなガキだった)。

 

なのに、ロックンロールという破滅への誘惑に乗ってしまい、僕はキーボードプレイヤーになってしまった。このキーボードプレイヤーという”生き物”の役割は、(そう当たり!)助手、補佐的な役割。物を創造するのではなく、他人の物を装飾する役割。

 

もし、若いKP(キーボードプレイヤーの略)である君が、バンドでの自分の役割に補佐以上を望むのなら、もう諦めて他の道を行くしかない。心が傷付くことになるからだ。だって、君のヴィジョンを考慮してくれと言ったところでバンドのメンバーが耳を傾けてくれると思う?君の "なんとかかんとか"という歌に耳を貸そうとすると思う?

 

君が雇われたたのはそのためではない。’バンドのサウンドの必要な部分に音を加えてくれるよう’ 、’音の背景、ムードを醸し出すカーテンになってくれるよう’、’いくつかの新しく魅力的だがつまるところオプション色を追加してくれるよう’、その役割のために君は雇われたんだ。

 

また、時には、音楽業界では"透明接着剤"と知られる音を提供するために君は雇われたんだ。それは、意識下の鼻歌のようなもので、通常聴こえないのだが、それが止まった時に初めて気が付くような音。

 

そう、君はキーボードプレイヤーとして雇われたんだよ。

 

(中略)その頃、XTCがキーボードプレーヤーを捜していると聞き、加入したいかもしれないと答えた。 ジャム・オーディションを地元のスポーツ会館で予約したのだが、重複予約されたため、みんなパブに集まった。

 

奇妙なことに、”パートリッジ一族マフィア”の事は地元の評判だけで知っていた。(“非常に優れたバンドだが少々うぬぼれてる”というのがスウィンドンで聞いたバンドを渋々認めるコメントだった。)彼らと酔っぱらいわめき散らしたその夜、かなりの事が確立された:まず、非常に意気投合した。笑いまくり;巧みに考え付いたわいせつな言葉を飛ばし;到底あり得ないような過去の自慢話、耳を疑うような奇抜な逸話の数々。

 

彼らのグループのあり方に何かオリジナルなものを感じた。何かとてつもなく面白くて、心底”スウィンドン人” 的なものがあった。

 

僕と言えば、当然、ロンドンの落ちこぼれ。文字通り下層階級出身コックニー野郎だった。 (“新しい公営住宅団地は - 金網と犬の糞が売り物です”) そして、彼らと言えば、”生まれながらの百姓野郎ども” - それが当時のスウィンドンでの階級分けだった。

 

そんなことはどうでも良かった。 こいつらとだったらと付き合えると思った。

 

ルートレット(バリーが加入した最初のバンド)での経験の後、とにかく何か他のことをやってみたかったし、彼らは僕と同じくらい野心に燃えていたとわかった。

 

基本的に何がやりたいのか良く分からないのを隠すために、色々支離滅裂にやるだけのバカな観念的な野心ではなく、彼らにはちゃんとしたプランがあった。若さの無謀さでメラメラ燃え立つような野心だった。確かに大きな賭けではあったが、でも...ひょっとして...成功するかもしれなかった。

 

本当に入りたいと思ったバンドはXTCが初めてだった。 実際にバンドに入って演奏する前からわかっていた。

 

そういう風に決まってしまうことがあるよね。 本当にそういうことがあるんだ。

 

だが、この純粋な意気投合感は当然、長続きしなかった。 原因は上述に戻る。つまり、キーボードプレーヤーのふりをする自分;自分の性質に反することをしたからだ。

 

このバンドは、僕の ”補佐的な役割” だけでは充分ではなかったのだ。自分でも気が付いていなかった。 XTCも気が付いていなかった。

 

熟練した人事スペシャリストであれば76年のXTCを見て、4番目のメンバーの理想的な候補者の条件を次のように策定したであろう。 「音楽的な個人の野望が無く(XTCには既に美学的思想が確立しておりそれ以上拡大は要らなかったし、二人ものソングライターを抱えていたのだから)、XTCが既に持っている技術的なノウハウを更に強固にし向上させれるような豊富な知識を持ち備えており、多分、最も重要な条件として、気高い謙虚さがあること; つまり、グループとしての大きな目標を達成するためには、自我を従属させることをいとわないこと」

 

彼についてはそんなに良く知らないが (Dave、すまない。あなたのことをこんなに風に残酷に要約しようとしているが、これはブログ。おおざっぱな表現が必要だ) この条件の全ては最終的に僕の後釜になるDave Gregoryをほぼ表しているようだ。

 

僕の在籍時代には、XTCにはカミカゼのような、若さ一杯、ライバル意識バリバリのエネルギーがバンドを盛り立てた。

 

当時のXTCにおいては僕こそが主役だったと言える。バンド内の不適任者というフラストレーションが僕のハチャメチャなステージパソナに拍車を掛け、それが一層、ポストパンクシーンの混乱の渦中でXTCというバンドを際立出せた。

 

ロック界での成功の大半はその時代のフレーヴァ―に一致するかどうかであり、77年、78年あたりのXTCはでおそらく多少狂気じみた人間がバンドに必要だったのだと考える。

 

ストパンクの混乱が落ち着くとXTCにとって僕は余計者になった。僕が辞めた後のアルバムタイトルDrums and Wires(ドラムとギター)がそれほど遠回しにではなくそのことを仄めかしている。

 

ま、とにかく、僕はXTCを去らなければならなかった。自分の本当の性質を隠すこと、また、隠さなければならないことに憤慨すること、それは不名誉な事であり辛かった。 皆にも迷惑を掛けていた。分かっていた。

 

2枚目のアルバムGO2のレコーディング中の不道徳極まりないエゴのぶつかり合い、お互いへの不満をメディアにぶつけた(これは、非常にイギリスぽいやり方 - 殴り合った方が嫌悪な雰囲気を解消出来ただろうが。)その後に、(自分の性質である)”物を作る”という”魔法の島”に戻る時がいよいよやって来た。

 

XTCを抜ける前の最後の数か月間はAndy Partridgeを猛烈に憎んでいた。ところが、Andyがやっていた事を自分でやり始めて、数年間、ロックバンド(Restaurant for DogsとShriedkbackという二つのバンド)を 脳内に描くようなバンドに作り上げようとした。実際にやってみて、初めてAndyへの同情心が湧いてきた。 バンドを自分の思うように作るなんて傍で見るよりずっと難しい。

 

Sky(TV番組)で86年に司会のアンディが僕にインタビューをした。この動画クリップからは良く分からないようだが、これは実は、僕とAndyにとっては僕が79年にXTCを辞める際にマネージャーのオフィスで最後に会った時以来の再会だった。 この番組に登場する寸前にも全く会っていない。

 

この動画の誰かのコメントで僕がヤクでハイになってるように見えると書き込んでいる。

 

しかし、そうじゃない。多分、この時、(XTCを作り上げるのに苦労したであろう)Andyの気持ちを心から理解出来て、許してあげたい気持ちが湧き上がるのを感じたのだろう。そういう気持ちになれたのは、Andyと小競り合いし不平不満をぶつけあうXTCのフラストレーション爆発キーボードプレイヤーだった頃より、とてつもなく思いやりを培い、よりクリエイティブな精神状態の自分に変わっていたから。

 

僕はShriekbackのシンガー・ソングライターの一人であり、その頃までにはバンドは独自のスタイルを見つけていたし、メジャーレーベルと契約をし世界中で見事なパフォーマンスのギグを繰り広げており、最高の時を楽しんでいたのだ。 自分の性質に馴染むことが出来、その性質を生かし、苦悩に終止符を打つことが出来た。

 

結論は、ニューエージナンセンスはさて置いて、自分らしくやること以上に素晴らしい事はないってこと...。