XTC Best Band Ever

XTC is the best band ever. Period.

The Big Expressが初のアトモスサラウンドで蘇る。4年ぶりにXTCのスティーブン・ウィルソンサラウンドシリーズが再開!デイブ「最も苦手なアルバムだったがアトモスミックスを聞いて再評価する価値あり!」

遂にスティーブン・ウィルソンのXTCサラウンドシリーズが再開!

 

2019年のPSURROUNDABOUT RIDEの5.1サラウンドサウンドシリーズ以来、その他のアルバムのマスターテープが見つからず中断していたが、アンディ・パートリッジが『鉄のオペラ』と呼ぶあのThe Big Expressのマルチトラックをやっと発掘することに成功。現時点での関係者の話によると発売は9月とのこと。

 

どうやってマルチトラックが見つかったのか?スティーブン・ウィルソン(SW)の説明によると、たまたまチェルシーのクラブで出会った若い男性がユニバーサルのマスターテープライブラリーを担当だった!しかも大のXTCファンであった!なんという運命の巡り合わせ...。数日後、その担当者はSWに探し出した音源のリストを送ってきた。その中に今回のリリースとなるThe Big Expressの全曲が書かれてあった。しかも、その担当者はMummerの一部とEnglish Settlementの一部も見つけてきたという。

 

The Big Expressのアルバムは今回初Atmosミックス。そして、ボートラ3曲は空間ミックス(Spatial Mix)。 楽しみ! Atmosとは5.1を超えるサラウンド。リスナーの頭上、縦と横の周囲から隠されたディテールや微妙なニュアンスを比類のない明瞭なサウンドで聴ける。ボーカルの微妙な息づかいも聞こえてくる。アンディにサンプルを聞かせて説得させた。 ボートラの3曲はRed Brick Dream, Washaway, Blue Overall。

 

 

今回、L-Acousticsで開催された暗闇の試聴会で詳細が話された。Facebookに参加者の体験が書いてあったので英訳紹介します。

 

 

参加者七十人限定の世界初の試み。XTCのThe Big Expressの“18.1.12 サラウンドサウンドミックス”を真っ暗闇で没入して聴く試聴会。XTCの美しく感動的なサラウンドミックスシリーズを手がけるスティーブン・ウィルソンがミックスし、アンディ・パートリッジ自身が承認・監修。本アルバムをイマーシブ環境で、その上ボートらの3曲は空間ミックスで異次元レベルの没入感を味わえる。 会場には18.1.12の360°超高解像度サウンドシステムが設置され、リスナーを3Dオーディオ体験に完全に没入させる。

https://www.facebook.com/groups/103438953910/permalink/10160381763848911/

 

ドルビーアトモスでミックスされ、18.1.12という驚異的なスピーカールームで再生されるXTCのThe Big Expressの試聴チケットを手にしたラッキーな私達は、信じられないほどの楽しさといくつかのサプライズを体験した。アルバム試聴後には、このアルバムのミックスを担当したSteven Wilson、ドラムとパーカッションを加えたこのアルバムのドラマー担当Pete Phipps、物静かな語り口ながらもユーモアたっぷりの我らがDave Gregoryが登場した。

 

試聴会の前には事前に録音されたアンディ・パートリッジのメッセージを聞かせてくれた。アンディは本アルバムを紹介し、”この新しいアトモス・ミックスを聴いた途端、貴方の頭はペダル式ゴミ箱の蓋みたいにぱかっと開く感覚に襲われるだろう。僕はこれを聞いてこの40年間ですっかり記憶の彼方にあったたくさんの曲の要素、対旋律、バッキングボーカル等がステレオミックスの奥深くに埋もれていたのを発見した”と説明。

 

アンディの言う通りだった。アトモス・ミックスの「Wake up」の最初の尖ったギターサウンドに始まり、心に響くバッキング・ヴォーカル、そして空間ミックス(Spatial Mix)の「Red brick dream」、「Wash away」、「Blue Overall」の3つのボートラまで、まさに没入感と歓喜溢れる体験だった。本アルバムには、1984年当時レコード会社が求めていたようなポップなヒット曲は含まれていないだろう。だが、珠玉の名曲がぎっしりと詰まっており、このサウンド・ステージの空間さえあれば、誰の耳にもはっきりと伝わるはずだ。

 

アルバムの最後の「Train Running Low On Soul Coal」は、鉄道の街ディドコットをグイグイ突き進もうとする列車「Great Express」のピストンとともに、文字通りボイラーの中に耳を置かれたような感覚を味わえる、私の一押し曲。「This World Over」、「Seagulls Screaming Kiss Her, Kiss Her」、「Shake You Donkey Up」など、他の曲もこのアトモス・ミックスにより更なる真の魅力を発揮させることになった。

 

アンディはまた、The Big Expressではプログラムされたドラムを含むパーカッション、シートメタル、シンセ、ユーフォニアムなど、全体を通してより尖ったシンコペーション(本来のアクセントとは違った場所にアクセントを置いて通常とは違ったリズムのノリを生み出す手法)のリズムを重要視していることを、時間を割いて説明してくれた。 この手法は本アルバムの曲の多く、特に「The Everyday Story of Smalltown」のようなスウィンドンの音楽的景観を想起させるような曲のエネルギーとアルバムのテーマである鉄道産業の感覚を醸し出すために、完全に意図的に使用されたとのこと。

 

最後に、デイヴ・グレゴリーは、以前はThe Big ExpressはXTCのアルバムの中で最も苦手で、最も演奏するのが嫌なアルバムだったが、今回の試聴会によりドルビーアトモスで聴いたところ、XTCアルバムカタログの中における本アルバムの地位を再考することになり、再評価する価値があると言っていた。全く同感!

 

本アルバムは9月に発売されると言っていた。ブルーレイも発売されるはずだ。それとも他のフォーマットももっと追加されるのか?SWによると、現在、上述のXTCファンが運営する代理店がマスターテープの捜索・追跡をすることを決定したそうだ。今のところこの代理店が発見したテープのフルセットはThe Big Expressだけだが、English Settlementのトラックも4つ発見されたと聞いた。English Settlementのサラウンドミックスを夢見るファンに希望を与えた!

 

今回のプロジェクトは、スティーブン・ウィルソンがアトモスでミックスした初のXTCプロジェクトであるが、ウィルソンとXTCは、ウィルソンがすでに5.1サラウンドでリミックスしたアルバムに戻って、このThe Big Expressと同様にアトモス・ミックスをすることを検討するのかという疑問がある。それを聞いたウィルソンは早速、あのSkylarkingのブンブン唸る「蜂」をアトモスでどうしようかな、デュークスのPsurroundabout rideをアトモスでどう楽しもうかななどと言い、恍惚とした表情だった。答えはもちろん、"プリーーーーーーズ!"」

 

ティーブン・ウィルソンによると通常の5.1サラウンドとは違って、アトモス・サラウンドを聴くのにアトモス・システムセットを買う必要は無く、ステレオ・ヘッドホンやサウンドバーでもアトモス特有の繊細なサラウンド・サウンド効果を100%完全では無いが、80%は楽しめるそう。

 

 

XTC熱狂的ファンのウィルソンは一生かかってもXTCの全アルバムをサラウンド化する硬い決意でいる。しかし現時点では以下のアルバムはまだ全てのマルチトラックが見つかっていない、あるいはまだ探す段階までになっていない。Go2, White Music, English Settlement, Mummer, Apple Venus, Wasp Star。

 

 

アンディ・パートリッジ「スティーブ、僕は他人に曲を書くことをやめたんだ。ちょっと考えさせて」1ヶ月後→「スティーブ、もっと曲を書こうか?」XTC大ファンのスティーブ・コンテのインタビュー

bigtakeover.com

ティーブ・コンテって誰?

Wikipediaによると:

ティーブ・コンテは母はジャズシンガーのローズマリー・コンテ。ミュージシャンの一家に生まれ、7歳からドラム、10歳からはギターと歌作りを始める。ニュージャージー州ニューブランズウィックのラトガース大学で音楽を専攻、卒業後はニューヨークを拠点に活動を開始。日本ではアニメソングの歌手として知られており、菅野よう子の作品(主にアニメのサウンドトラック)に作詞家ティム・ジェンセンと共に数多く参加している。
1998年からは菅野よう子の楽曲のボーカリストとして彼女のソロアルバム「Song To Fly」、数々のアニメシリーズやゲーム音楽サウンドトラック等に参加。 2001年には菅野よう子のバンドThe Seatbeltsのライブで歌うために来日。
2004年、David Johansenに招かれ、New York Dollsのメンバーとなる。 更にコンテ自身でも新しいバンドSteve Conte & The Crazy Truthを結成、バンド名を冠したデビューアルバムを2009年にリリース。30年以上XTCの大ファンでアンディ・パートリッジを音楽のヒーローとして尊敬している。

 

ティーブ・コンテの最新インタビュー

あのアンディ・パートリッジがもっと曲を書きたいと言ってるんだぜ、そりゃあもっと書きたいに決まってるだろ!

 

今、僕のソングライティング・ヒーローであるXTCのアンディ・パートリッジと一緒に作曲しているんです。まさに、「ちょっと頬をつねってみて」って感じ。夢のようですよ。

 

2003年、ニューヨークで僕のギターを作っていたデニス・ファノが、アンディにギターを作ると言ってきたんです!そこでデニスに僕の最新アルバムをアンディに渡してもらえないかと頼んだんです。

 

デニスはアンディにCDを渡し、凄く気に入ってもらえたんですが、結局は僕の名前と良い音楽やっている奴だと知ってもらえただけで、何も起きなかった。数年後、ニューヨーク・ドールズに加入した後、U2ローリング・ストーンズなどとも仕事をしているプロデューサーのスティーブ・リリーホワイトに会ったんです。スティーブは僕が好きなXTCの2枚のレコード、『Drums and Wires』(1979年)と『Black Sea』(1980年)をプロデュースした人。

 

僕らはその後何度も偶然に会って友達付き合いするようになった。良い人だよ。当時、アンディ・パートリッジがTwitterをやっていて、ある時、Twitterでチャットをしていたら、どういうわけか、僕とスティーブとアンディの3人でTwitterでチャットすることになったんだ。そしたらアンディが「NYドールズにいたの?うわっ!実はドールズになりたかったんだ。子供の頃、(リード・ボーカルの)デヴィッド・ヨハンセンに、どれだけこのバンドが好きかって手紙を送ったこともある」って。僕がドールズにいたことで凄いと思ってくれて。

 

それでXTCの出身地であるイギリスの小さな町スウィンドンで、マイケル・モンローと一緒にギグをやったんだけど、なぜかXTCは現地で尊敬されていないらしくて。アンディは「僕の住んでるボロ臭い町で演奏するんだって?じゃあランチおごるよ 」と。

 

「僕はしばらく前に他の人のために曲を書くことをやめたんだ。ちょっと考える時間をくれないか」

 

それでスウィンドンでアンディがコンサートアリーナの駐車場まで迎えに来てくれたんです。ランチをして、一日中、一緒に時間を過ごした。ギターを弾いたり、音楽を聴いたり、ジャムったり。XTCのある曲の弾き方まで教えてくれました。僕はアンディにリフを見せたり。一緒にYouTubeのビデオを見て笑ったり。それは素晴らしい午後でした。

 

アンディと本当に心を通わせることが出来たんです。それで手紙で、「アンディ、次のシングルを書いてくれませんか?」と書いたわけです。すると、「スティーブ、僕はしばらく前に他の人のために曲を書くことをやめたんです。でも、ノーと言ってるわけではないんです。ちょっと考えさせてくれませんか 」と。

 

それで1ヶ月くらい経ってから返信をしたんです。「あの件について少し考えてみてくださいましたか?」って。そして、家にいてもできるんだってことを示そうと思い、作っていたトラックを送ったんです。かなりいい出来だった。するとアンディは「あのトラックはほぼ完成に近いから、僕としては何もできないけど、Zoomセッションでやってみませんか? 」と。

 

それで2時間のZoomセッションの結果、4曲のアイディアを出して、それをデモにしたんです。その次に話したとき、アンディが 「もっと曲を書きたい?」と聞いてきたんです。アンディ・パートリッジがもっと書きたいと言ってるんだぜ、もっと書きたいに決まってるだろ!それで、もう1回Zoomを設定して、もう4曲作ったわけです。

 

アンディはきっとカメオ出演してくれるはずだけど、まだ頼んではいません。まずはトラックを録音して、ある程度のレベルになったらラフミックスを送って、「アンディ、これにバックボーカルを入れるとか、ギターのパートを追加するとかしてくれないか?」と頼むつもり。どの曲で何をやろうが全部ウェルカムですよ。

 

これは僕の名義で発売されます。アルバム全曲がアンディとの共作にはなりませんから。コンテ/パートリッジの曲に似合うような自分の作曲もたくさんあるんです。過去数回のアルバムでは、まず核となる曲群を作り、それから自分のアーカイブを調べて、核となる曲を補完したり、それに合う他の曲(または仕上げのアイデア)を選びます。この場合、それらは僕が呼ぶところの「カートリッジ」の曲です。ビートルズXTC、ブリット、パワーポップといった、自分の多重人格の一面を見せることになります。

 

 

アンディ・パートリッジの悲しい最新インタビュー:「夢は消えた:XTCのアンディ・パートリッジが心の病、音楽業界との戦い、インスピレーションの喪失について語る」前半の記事全訳

www.theguardian.com

40年前、人気の絶好調だったXTC。しかし、パートリッジが神経衰弱で倒れ、ツアー停止となった。今月新たに過去に採用されなかった曲を集めたEPがリリースされるが、神経衰弱への引き金となった不遇な幼少時代とバリウム依存症、スタジオに安全地帯を見出したこと、そして作曲をやめた理由について語ってもらった。

 

アンディ・パートリッジはもう二度とライブをすることはないだろうと思った。それはロスの救急病院で担架で横たわっていた時だった。両側の担架には銃弾で負傷した患者が横たわっていた。XTCのメンバーはその時には思いもしなかったがこれが最後の公演となった。「夢が死んだ瞬間だった。」40年に渡る思い出に声を詰まらせながらパートリッジは言う。

 

1982年、XTCは今でも最もよく知られた曲「Making Plans for Nigel」で商業的成功を得た。一方、パートリッジは苦しんでいた。母親が精神病院に入院していた一時期、非行に走り始めた12歳のアンディは医師からバリウムを処方された。そのバリウムをやめようとしていたのだ。問題児にバリウムを処方するのは当時の風潮だった。「60年代はそういう時代だった」と言う。「可哀想に。お母さんが気が狂っちゃって、この子は不安で一杯なんだ。バリウムでも飲ませておけば?”と。それで中毒になってしまったわけ」。

 

バリウムを完全に断ち切ろうとしたのは1981年のUSツアー中だった。「その後の1年は脳が溶けてしまったようだった」と言う。記憶障害と身体が動かなくなる発作に苦しんだ。何度もその危険な状態をマネージメントとヴァージンに訴えたが分かってくれなかった。「彼らにとっては僕は大事な収入源だったわけ」。

 

もう二度とライブをすることはないだろうと思った。それはロスの救急病院で担架で横たわっていた時だった。XTCのメンバーはその時には思いもしなかったがこれが最後の公演となった。夢が死んだ瞬間だった。

 

そしてパートリッジはパリでのTV生中継のライブ中にパニック発作を起こした。舞台裏で胎児のようにうずくまっているところを発見される。だが、数日後にはパートリッジはUSツアー開始に向け機上の人となる。バンドはソールドアウトのハリウッド・パラディアムで公演するはずが、結局パートリッジは急遽病院に運ばれてしまう。公演がキャンセルされたことにより、バンドは莫大な借金を抱えることになる。

パートリッジはツアー停止はある意味不幸中の幸いだったと言う。「おかげでレコード作りへの愛が全開した。もうライブで再現可能なレコードを作らなくても良くなったから」。彼はレコーディングスタジオ魔術師としての評判を高め、2006年に解散するまでにXTCはさらに7枚のアルバムをリリースした。しかし現在、彼は曲作りをやめてしまった。年齢とともに「怒りと戦いの心」が失ったのだという。本インタビューの依頼で連絡した際、彼は最初依頼を受けるかどうか躊躇していた。「引退の時代」を迎えたのだと。

 

それはどういう意味?パートリッジはFaceTimeスウィンドンの自宅から丸いメガネで強調された顔つきでこう説明する。「そんな気がするだけ。説明し難いんだけど」。「’老いぼれる’っていうやつだよ」。来年70歳になる彼は心臓病を患っており過去に自殺まで考えた持病の耳鳴りもある。また、幼少期から続く強迫性障害もある。

 

このインタビューのきっかけとなったのは、『My Failed Christmas Career』(『私の失敗したクリスマス・キャリア』)というアーカイブ・シリーズの最新作で、パートリッジが他のアーティストに売り込むつもりで書いたクリスマス・ソングを収録している。モンキーズが採用した2曲以外は、買い手がつかなかった。クリスマスは好き?「おお、最高」と豊かなウェストカントリー訛りで言う。「全部、多神教から生まれたもの」。

 

曲作りをやめてしまった。年齢とともに「怒りと戦いの心」が失った。「引退の時代」を迎えたのだ。

 

20年前の “核爆弾級にブチ切れたクリスマス”について。「子供たち(娘と息子)のためにちょっとしたショーで楽しませようと思って」パートリッジはサンタクロースに扮して子供たちと両親のために料理を振る舞ったが、シャンパンを飲み過ぎて「何年も何年も溜め込んでいた怒り」を母親にぶつけてしまった。そして、シャンパンを片手に夜の街に繰り出した。「遊び場に行き着き、地面が雨で濡れていて、泥の上に横たわって原始的な叫び声をあげた」。地元警察は、泥まみれで涙を流しているサンタを安堵した表情の家族のもとに連れ戻した。

 

1953年、パートリッジはマルタ共和国の海軍の家庭に誕生した。2歳のときにスウィンドンカウンシルハウス低所得者向けの公営団地)に引っ越す。父親は海軍の仕事の関係で長期不在の家庭で、一人っ子のパートリッジは「強迫性障害」の母親と二人きりになってしまった。「母親からは邪魔者扱いされた」と声を詰まらせる。「一言で言えば、僕は必要とされていなかったんだ」。友人の家に遊びに行ったときビートルズのテーマ柄の壁紙に目が釘付けになったことを覚えている。ダッフルコートと短パン姿で『ハード・デイズ・ナイト』を観に行ったんだ」。その後、ギターでビートルズの歌を覚えた。

 

グリーンのアイシャドウ、母親から借りたブラウス、3フィートの虎の尻尾を身にまとったパートリッジは、片田舎の異端児として知られるようになった。彼はベースのコリン・モールディングとドラムのテリー・チェンバースを自分のバンド「スター・パーク」に加入させ、キーボードのバリー・アンドリュースを迎え入れて、1975年にXTCとなった。ちょうどパンクの爆発的な流行に乗り、ヴァージンと契約する絶好のタイミングだった。こ生意気なエクセントリック性は、エルビス・コステロや70年代後半にツアーを共にしたトーキング・ヘッズに近かった。

 

XTCの音楽は都会派ニューウェーブの大物たちと共通するものがあり、アメリカのアーチストたちからも評価されていたにもかかわらず、イギリスのリスナーに俗物扱いされたのは自分達が片田舎の出身だったからだと考えている。「出身地がスウィンドンというダサい町(冗談のネタの町)だったのがイギリスでは全く受け入れられなかった理由の一つだ」と言う。ヴァージンから訛りを直せと言われた。「“それは断る。僕らはウェスト・カントリー出身だ。だからこういう訛りで話すし、こういう考え方をする”と言ってやった」。

 

パートリッジはバンドを「慈悲深い独裁者」としてまとめるのに苦労し、1978年にはバリー・アンドリュースを解雇し、その1年後にバンドのとっておきの切り札的存在、物腰の柔らかいギタリスト兼アレンジャーのデイヴ・グレゴリーを迎え入れた。モールディングは作曲を始め、トップ20にランキングしたXTCのサプライズヒット「Making Plans for Nigel」を書いた。このヒット曲の成功によりバンドのコントロールを失うことを恐れたパートリッジはさらに作曲の腕を磨いた。1980年の『Black Sea』では、2人のソングライターによりますます洗練された複雑なギター・ポップが生み出され、XTCは成熟を遂げていった。驚くべきことに、パートリッジがバリウムを禁断症状と戦っている時期に、バンドは1982年の『The English Settlement』という初の本格的な傑作アルバムをレコーディングしている。商業的絶頂期を振り返り「世界を股にかける飲み仲間バンドにいるのはスリルだった」が、「それはあっという間に色あせた」。

 

ツアー停止後、1983年にリリースされた素晴らしいアルバム『Mummer』は商業的に大失敗。ある日、チェンバースはリハーサルから立ち去り、二度と戻ってこなかった。しかし、XTCのキャリアの救済は思いもよらない形でもたらされた。1985年、XTCは、あるレコーディングの仕事がキャンセルされて余ったスタジオ時間を使い、自分たちが育った60年代サイケデリアへの愛を込めたパロディを低予算で録音したのだ。デュークス・オブ・ストラトスフィアという変名でリリースされたこのパロディ作が当時のXTCのアルバムの売り上げを越え、バンドはヴァージンからの解雇を延期するための時間稼ぎをすることができた。