スペシャルズのテリーホールのXTC愛「みんなこのXTCのアルバムを聴くべきだ。モリッシーなどよりXTCのブリティッシュ・ポップの方が断然優れている。This Is Popを聞いて”そうだ、これこそがポップなんだ!と思った」
スペシャルズのテリー・ホール:「誰もが死ぬ前にこのXTCのアルバムを聴くべき!」
まだ、未読の方はこの記事を共にこちらの過去記事も読み合わせてください:
xtc-the-best-band-ever.hatenablog.com
そのXTCのアルバムとは!?
ザ・スペシャルズは、イギリスが生み出した最も重要なバンドの一つ。スカの音楽とパンクの政治的姿勢を融合し、イギリスロック史上、最も大きなサブカルチャーの震源地の一つともいうべき存在。そんなバンドのフロントマンを務めたテリー・ホール。当時のロックシーンに貢献した彼には誰もが一目置かずにはいられない。だから、”このレコード聴いてみな”と彼に勧められたら、絶対に聞いた方が良い。
テリー・ホールは、最も象徴的なカルトバンドの一つであるスペシャルズのリーダーだ。スペシャルズは音楽という枠を超越し、バンドが象徴するものが生き方そのものになった。熱烈なファン達はこのコヴェントリー出身の若いバンドメンバーのやることなすこと全て崇拝した。だから、ホールが今まで聞いたレコードの中で最も好きなレコードが、同じくカルト的な存在の英国バンドのレコードだというのには納得がいく。
そのアルバムとは、XTCの完璧なる1978年デビュー作『White Music』だ。ホールは2018年にNME誌からの質問で「死ぬ前に誰もが聴くべき一枚」と聞かれ『White Music』を選んだのだ。XTCといえば1972年にスウィンドンで結成。あっという間に素晴らしいユニットとして成長した。
アンディ・パートリッジとコリン・モールディングがフロントに立ち、パンクという言葉をロンドンの街角で耳にする前に、アバンギャルドなロックを生んでいた。しかし、パンクが台頭すると、XTCはセックス・ピストルズなどのバンドと同時期にヴァージン・レコードと契約、そして『White Music』をリリース。
2009年のインタビューでパートリッジは「Radios in Motion」で始まるこのレコードについて次のように語っている。”この曲はライブのオープニングで使っていた。いかにも ’ドアを蹴破って’ 颯爽と登場する感じのこの曲以外にアルバムのオープニングにふさわしい曲はないと思った…。歌詞は凄くバカバカしくて、言葉の意味よりもサウンド上の効果を重視して選んだ。経験の浅いソングライターの最初の逃げ口上。許して。でも、若さはち切れそうな散弾銃みたいなエネルギーがあるよね”
同時期にスペシャルズを結成したばかりの若くて多感なホールはWhite Musicに強烈に感化された。”XTCはイギリスが生んだ最高のグループの一つです。何故、みんな揃ってモリッシーみたいなアーチストを指して最高のブリティッシュ・ポップだなどと騒ぎ立ててるのか分かりませんね。本当は他の誰よりもXTCのブリティッシュ・ポップが優れているのに」とホールは断言。
”XTCが This Is Pop をリリースしたときのことを覚えてるんです。思ったのは、”そうだ、これぞポップだ。これこそがポップなんだ”。This is Popだと言ってるのが彼らだからこそ流石、見事だと思ったんですよ。ポップこそXTCそのもの、彼らはこんなに多くの素晴らしい曲を作り、パンクについてわめきながら、この上も無く優れたポップソングを書くことを全く恥じるなんてなかったんですよ”とホールは付け加えた。
XTCは、英国が生み出したバンドの中でも特に過小評価されている逸材であり、ロックの名作アルバムの話題に登場しない。もっと多くの人々に愛されるべきXTC。テリー・ホールはそんな彼らに愛情を注ぎ続ける。なんだか救われる気持ちだ。
(そういえば、ニックヘイワードもホワイトミュージックに感銘して音楽をやることを決めたそうです。)
NME みんなのお気に入りのロックスターが選ぶ「死ぬ前に聞くべき100枚のカルト的アルバム」
65位:XTCのホワイトミュージック(テリーホールが選ぶ)www.nme.com
アンディがビートルズのレインについて語る「世界最高峰の頂点に立った旧ビートルズはこの曲で華麗なる大爆死を遂げた」「レノンが暗殺された日、リバプールで『レイン』を演奏。涙が頬を伝って流れた」
レノンが暗殺された日、リバプールのギグで『レイン』を演奏した。悲しみで涙が頬を伝って流れた。
アンディが大好きなビートルズの曲『Rain』について語る
この曲について話し出したら永遠に続けられる。僕にとってRainが象徴するものは、ギター2本/ベース/ドラムで出来る音楽の全てをやり尽くし、エベレスト山頂へ登り詰めた旧ビートルズが遂げた壮大な大爆死である。その後、彼らは次の目的地サイケ色の夕闇に向かい、山頂から下っていったのは必然的だった。
スウィンドンのユースクラブのラジオで初めて耳にしたのは13歳の時。曲が終わらないうちにもう一緒に歌ってた。逆回転のボーカルに戸惑った。何故、"ネア(Nair)"について歌ってるんだ?ってね。"ネア"は母親が良く足に塗ってた除毛クリームの名前だったので。(注:"Rain"を逆回転すると"Nair"と聞こえる。)
僕には共感覚的なところがあるが、この曲を聴くたびブロンズ色が目に映る。ギター・サウンドはちょうど古代ギリシャ風の盾2枚が閃光を放ちながら打ち合う感じだ。ベースは素晴らしいプレイを見せつけている。実際、これ以前にベース・サウンドが効いたレコードはタムラ・レコードくらいだろう。また、ビートルズはこの作品で初めて録音速度で遊び始めた。そして、ドラムはこれまでにないくらいにでかい音で、強く打ち叩いてる。これより凄いスネアの音を聴いたことある?歌詞的には支離滅裂、辛辣な童謡、純真な「俺たち」VS「あいつら」といったところ。「あいつら」とはつまり常識ある普通の人間達。雨、太陽、そして、生きる上でついてまわる素晴らしくも陳腐なことを避けようとするあいつら。果たして生きているかさえ分からないあいつら。
レノンが暗殺された日、XTCはリバプールでギグをした。レインと歌の形が似ているタワーズオブロンドンの終結部でレインの歌へと移行した。悲しみで心が引き裂かれそうで、涙が頬を伝って流れた。それは、これまで感じたことのない奇妙な感覚だった。
テリーのインタビュー和訳#1「7月のEXTCのギグではGO2以外のXTCの全アルバムから曲をやる!」「音楽の才能以外にも絵も描けるアンディに出来ないことは何も無い。才能があり過ぎてウザいくらい(笑)」
「7月のEXTCのギグではGO2以外のXTCの全アルバムから曲をやる!」
「音楽の才能以外にも絵も描けるアンディに出来ないことは無い。才能があり過ぎてウザい(笑)」
インタビューの要約:
テリーはXTC脱退後にオーストラリアに移住し長年住んでいたため、スウィンドン訛りとオーストラリア訛りが混ざっています。また、アンディのような饒舌でウィットに富んだ知的な話術で周りを魅了するタイプでは無く、使う言葉も非常にシンプル。そして、とってもシャイで謙虚。
- (テリーのインタビューってあまりありませんよね?という質問に)ステージの奥の方に座ってるとあまりスポットライトを浴びないんだよね(笑)
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(初めてあのストーンルームでドラムを叩いた時の感想は?)うわースゲエー!!(笑)ジョン・ボーナムのようにはプレイ出来ないが、これでジョン・ボーナムみたいな音が出せるぞ!
- アンディはライブを嫌がったけど、僕とデイブはライブが大好きでしたよ。コリンも楽しんでたけど、XTCがライブ止めた時はツアーはやっぱりやりたくないと言い出したね。
- EXTCは今年のギグでXTCのGO2を除く、Statue of Liberty等のファーストのアルバムからワスプスターまでの全アルバムから曲を演奏します。XTCがライブで演奏したことがない曲もやる。ライブで聴いたことがない人のために演奏してあげたいんで。King For A Day, Stupidly Happy, Dear God等。
- EXTCのギグは2つセットリストを用意するよ。各1時間づつ。2時間分。
- ポリスとはアメリカとヨーロッパのツアーを一緒にやりましたね。スチュワート・コープランドとは仲良かったですよ。ポリスはお互いより、僕らとの方が仲良かった!(笑)(*その当時、コープランドとスティングの仲は最悪で、アンディによるとステージに上がる前に二人が喧嘩してスティングがコープランドの肋骨を骨折させたとのこと。)
- アンディは絵も描くし、出来ないものなんか無いんですよ。ウザいくらい才能があるんです。(笑)
- トッド・ラングレンとアンディがレコーディング中に衝突したというけど、自分は(スカイラーキングの)あのセッションに参加していなかったけど、僕が参加したレコーディングでは世間で言われてるような、アンディがプロデューサーと口論したとか、嫌悪な雰囲気だったことは全く記憶にないんですよ。フィル・ウェイマンとか、マット・ラングとか、ストラングラーズのプロデューサーだったマーティン・ロシアンとか、スティ−ブ・ナイもアンディと衝突したことは無かったし。アンディがプロデューサーとの関係で問題を起こしたことは全く一度もなかったよ。
- (何故Mummerの時に脱退したのか?)ツアーをやらないことに頭にきていたんですよ。だって、せっかくアルバムを作るのに自分たちがプロモしなかったら誰がするんだ?レコード会社だってXTCがツアーしないから呆れているし。アルバムのツアーをすれば、行った先でラジオ出演したりするわけでしょ。そこでプロモート出来るんですよ。当然、そこで余計な仕事をするわけだけど。アルバムを作る価値があるならプロモしたいと思うでしょ。XTCの方向性に不安を感じてました。アンディがやらないと決めたからね。
- その上、Mummerの曲の大半は全体的にその前のアルバムEnglish Settlementに続くアルバムとしては劣っているように思えたんだよね。それまでの3枚のアルバムに比べて弱いと思ったんです。
- でも、アンディは心の病を抱えていて休息を必要としていたんですよ。休息のあと、作曲に戻ったんだけど、もっと休むことが必要だったのでは....。でも、それは許されなかったんです。
- XTCを辞めて、オーストラリアに移住し、ドラゴンというバンドのドラマーになりましたが、あくまでお金が必要だったから。18ヶ月アルバムも2枚参加してツアーもやったけど、自分には合わないと感じていましたね。彼らは既にバンドとして成立されており、自分は溶け込めない感じがしましたね。それは、XTCとは違った。XTCは、17歳の頃知り合って、一緒に育っていったんですよ。僕ら兄弟のようにずっと一緒だった。あのような友情は大人になってからは作れないよ。若い頃に培った友情とは違うんです。
- オーストラリアではその後ドラゴンを辞めて、工事の仕事をするようになったんだけど、結局結婚もうまくいかなくなって、離婚後、5年前にスウィンドンに戻ってきたんです。そして、コリンが電話をくれて、ソロの音楽を録音するからドラムをやってくれないかと誘われて話にのったんです。
- XTCを辞めたけど、その後も別に彼らに対して嫌悪があったわけではないんですよ。アンディとは昔よりむしろ今のほうが仲が良いし。アンディが当時バリアムを飲んでいたことなんて後々まで知らなかったんですよね。てっきり、彼はただのわがままだと思っていたんです。そんな心の病があるとは知らなかったからね。
- 他のメンバーとも絶交したわけではなく、ずっと何らかの連絡は取っていました。僕は全員と仲が良いですよ。彼らの間は仲が良くないけど。(笑)