デイブ・グレゴリーのNONSUCHのライナーノーツの翻訳「16年ぶりに聴いて僕は断固として主張する。NONSUCHはXTCのベストアルバムだ!」
2013 ニューミックス&5.1サラウンドミックスNONSUCHのライナーノーツの対訳第一弾
(長いのでだいぶ割愛しています。今回は土曜の午後の数時間を使い急いで翻訳しました。時間の制約がある中、ベストを尽くして翻訳をしましたので誤訳はないと思いますが、変な日本語はあるかと思います。お許しください。)
Dave Gregory
XTCがレコーディングプロジェクトを開始すると、僕は必ずノートを開きすべての曲についての詳細をきっちり書き出す。一部が楽譜、一部が自分だけが分かる音楽的な速記。アレンジがどのようにリハーサルされたかを覚えておくためだ。
このアルバムの大量なる新しい楽曲の断片はかなりのアレンジを必要としており、レコーディング開始の数週間前から既に数曲のストリングアレンジメントやキーボードパートを書き出していた。
練習用に使ったウェイテッドキー付きRoland RD-250Sデジタルピアノがあったし、EMU Proteusサンプルモジュールに接続したRolandMC-500 MkIIからシーケンスをやった。
ノンサッチに味付けされたシンセサウンドの大半に、この素晴らしく非常に重宝されたデバイスが使われた。それは、80年代に、非常に多くのサンプルを再現したデバイスの特徴である冷たく電気的なシューというサウンドではなかった。
レコーディングは、10月18日金曜日に完了。夏は既に終わり、冬が近づいていた。 レコーディングで自分たちがやったことには満足していたものの、その間ずっと、GusとAndy間の対立が高まっていた。
11月11日に、MonmouthのRockfieldスタジオでミックス開始の予定だった。しかし、GusがAndyに告げた。ミックス作業にAndyおよび他のメンバーは誰も参加しないで欲しいとのことだった。
彼が言うには、Barry Hammondと二人でレコードをミックスする。それが終わったら、他のメンバーもスタジオ入りし自分たちにフィードバックをくれたり、その他の最終調整を行えば良いとのこと。
この提案に、Andyは憤慨した。
僕としては、Gusは過去に物凄い数のヒットアルバムを世に送った男だ。それはバリーも同じ。そんな二人に任せて一体どんな悪い事が起きると言うのだろうか?という気持ちだった。
しかし、Andyはアルバム制作のもっとも重要な時に、自身のプロジェクトから除外されたと感じ、抵抗した。GusとBarryがRockfieldスタジオ入りしてから解雇されるまでに1週間も掛からなかった。
そして、急遽、僕等は新たにエンジニアを探さなければならなくなった。このプロジェクトを満足出来るように完了させるためだ。彼の名前はニック・デイビス。ニックは、早速、このような挑戦を勇ましく受け入れてくれた。 11月25日月曜日に、このアルバムのミックスを一からやり直すため、AndyとNickはRockfieldスタジオに戻った。
僕とColinは一切関わらなかった。二人とも、レコードをプロデュースする任務がある者にアルバムを完成させるチャンスを与えるべきだと感じていたからだった。Andyのレコーディングへの介入は多くの悪感情をもたらし、僕自身、嫌な気分であった。
そして、Nickとミックス作業開始して2日後に、RockfieldスタジオからAndyが電話をしてきた。 「Nickが俺たちのレコードにやってくれた事と言ったら信じられないぞ。まず、My Bird Performsをミックスしてくれて、それが完璧で...今、やってるのは、Holly Up On Poppyだが、これがもう素晴らしいんだ…おまえも来いよ!」
AndyとRockfieldスタジオから、Swindonの家に運転して帰った時の事を思い出す。手元にあった完成したアルバムのカセットテープを、カセットプレーヤーに入れた。それは、僕の車の品質の悪いステレオで聴いても、スタジオで聴いたような良いサウンドだった。
過去に完成させたXTCのアルバムの中でも、Nonsuchほどその完成度に心から満足を感じたアルバムはなかった。遂に、俺たちも世にいう '非の打ちどころがない完璧なレコード’を作り上げたのだと確信した。1992年は俺たちの年になるぞと固く信じたのだった。
このライナーノーツを書くにあたり、記憶を呼び起こす為、寂しく保管されていたNonsuchのビニール盤を引っ張り出して聴いてみた。
その質の高さを再発見したのは嬉しい驚きであった。
その前に出た2枚のアルバム程には、Nonsuchが売れず、音楽に対する自分の判断力に自信を失いかけた。今、16年ぶりにあらたな気持ちで聴いたら、絶対に当時、耳には聴こえなかったあのアルバムに内在する弱点が即浮き彫りにされるのではないかと思った。
しかし、実際に聴いたところ、違ったのだ。
僕は断固として主張する。このアルバムは恐らくXTCが作ったアルバムの中でも最高のアルバムだ。
本アルバムは、1993年度グラミー賞のBest Alternative Albumにノミネートされた。音楽業界のどこかの重要な誰かがこのアルバムを聴いていてくれたという事が証明されたのはいくばくかの慰めになっている。受賞したのは、Tom WaitsのBone Machineという賞に値する素晴らしいアルバムだった。B52s (Good Stuff)、The Cure(Wish)、Morrissey (Your Arsenal)と並んでXTCも上位入賞者として残った。
プロデューサーのGusは、レコーディングスタジオスタッフが技術的な側面およびレコーディングされるシンガーやミュージシャンの面倒を見るという、古いタイプのレコードプロダクションの人間だった。
だが、例えば、Elton Johnなどは、どうやらプロデュースは完全にGasにまかせっきりだったらしく、アレンジの問題やらミックスの議論やらには口を挟まなかった。それが途方もなく良い結果を生んだ...
ところが、今日のアーチストの多くは自分たちの音楽に関わるあらゆる面、特にレコーディングプロセスについて細部に渡り指示を出すことを強く要求する。
それは、Andyも例外ではなかった。
プロデューサーから、自分のレコードのミックスセッションには来てくれるなと言われる事は(ちょうどその5年前Todd Rungren に同じ事を言われたように)Andyにとっては、侮辱に等しいものであった。
多分、Gusに関しては、もう49歳で、ちょうどプロデューサーとしてのピークは過ぎていたという感はあった。確かに、70年代および80年代に大ヒットしたアルバムの一連で己の野心を達成しきったと言える。だから、それに比較するとXTCは取るに足らない存在だったのではという感じもした。
しかし、Gasは、僕らのプロジェクトについては熱意を持っていてくれたし、彼の独自の手法で、このアルバムを実現し得る最高の光に当ててあげようという決意でいてくれていたことは確か。
Nonsuchは彼なしでは存在し得ないアルバム。そして、当然、彼の事は一生忘れない。