XTC Best Band Ever

XTC is the best band ever. Period.

2014年3月アンディのBBCラジオインタビュー書き起し訳:その2「バンドのフロントマンとして注目を浴びるのは嫌。キースリチャードのようにステージの片方でギターを弾いたり作曲をしたかった」「僕の場合、音楽ははらわたで出来る。頭では作れない」

2014年3月のアンディパートリッジBBCラジオインタビュー書き起し:その2「バンドのフロントマンとして注目を浴びるのは嫌だった。キースリチャードみたいにステージの片方でギターを弾いたり作曲をしたかった」「僕の場合、音楽ははらわたで出来る。頭では作れない」

 

Andy Partridge interview 03/08/2014, Alan Thompson - BBC Radio Wales

 

Andy Partridge of XTC chats and picks fave songs with Alan Thompson . Broadcasting date 03/08/2014 on BBC RADIO WALES with Alan Thompson.

 

2014年3月のアンディパートリッジインタビュー訳:BBCラジオインタビュー書き起し(急いで訳していたので誤字脱字あるかも。一部聞きとれない部分もあり。)

 

「バンドのフロントマンとして注目を浴びるのは嫌。キースリチャードのようにステージの片方でギターを弾いて作曲をしたかった」「僕の場合、音楽ははらわたで出来る。頭では作れない」

 

**インタビュー動画の10:23から**

 

インタビュア「アンディはXTCの初期のアルバムは好きではないんですよね?先ほど、後期の方がベストだと言っていましたが。ドラムスアンドワイヤーズとか初期のものを聴いて良いなと思いません?特にブラックシーとか?」

 

アンディ「良いアルバムですよ。でも、バンドに身を置いている者と聴いている人とは物事に対する視点が全く違うんです。作曲や、レコーディングはパーソナルな行為で「自分をもっと向上させたい」という気持ちがあるんです」

 

イ「77年からツアーを辞めた82年までの初期のXTCのポップキャリアではライブがバンドの魅力でした。非常に多くの人がアンディのように真のポップスターとして成功したいと望んでいました。今でもそれを望む人がたくさんいます。実際にポップスターという地位を築いた時どういう気持ちでしたか?期待していたようなものでした?」

 

ア「いや、違います。正直に言うと。実際にやったことない人は甘い考えをしちゃう。ポップスターになったらハードデイズヘルプ!(ビートルズの二つの主演映画を一つにくっつけてる)みたいな日々が待っていると思ってしまう。ハードデイズヘルプモンキーズモンキーズショーみたいな楽しいバンド生活)みたいな。現実は全く違う。実際にはバンドメンバーは一軒家に一緒に住んだりしないし。一日中、全員ライトバンに押し込められて乗って移動しているんですから。お互いに“あいつ、もう一度あんな風にまばたきしたら殺してやる”(神経ピリピリ状態)とか考えてるんですよ。ハードデイズナイトの映画ではそんな風にはならないでしょ。

 

ポップスターの生活とは奇妙で不自然なものです。慢性的に疲労していて、慢性的に酷い食生活で、慢性的にギグの後リラックスしようと必死になっている。“この酒を全部がぶ飲みするから俺の口を開けて押さえていてくれ。明日の朝8時に起きて飛行機で2000マイル移動するからリラックスしたいんだよ”って。でも、既に夜中の2時。ギグの後の疲労が物凄くて何かをしてリラックスしないと睡眠出来ないわけ。非常に人工的な生活で凄いストレス。

 

みんな “ポップスターになって富と名声を得たい!”と思ってるんだろうが、富なんて考えない方が良い。金なんて入ってこないよ。嘘ではない。5年間世界中連続ツアーの利益からXTCが得た儲けなどゼロでしたから。ステージでギグをやっていて、ふと思うわけ “ちょっと待てよ。このスタジアムには2万人の観客がいて彼らは全員Xドル払って来ている…(頭で計算をする)…こりゃあ物凄い儲けだ。なのに何故俺には一銭も入ってこないんだ?”って。ステージでふと考えこんじゃうわけ。曲のハーモニーラインとか、ギターソロの所まであと30秒余りのところで、脳がそういう俗世間的な事に思いを巡らすわけ。他人の経済的な利益の為に自分は過酷なツアーで死にそうになっているっておかしいと苦悶するわけ」

 

イ「結構な数のシングルヒットがありましたが...」

 

ア「僕らのヒットはシングルというより..、まあ、イギリスでは大ヒットと言うより中ヒットしたシングルのトップ20に入るヒットはありましたが。最大の成功はツアーを辞めてもっと後になってアメリカで起きました。本国における僕らのキャリアは80年代の中頃には完全に終わってしまいましたから」

 

イ「82年にツアー停止後、イングリッシュセトルメントとか素晴らしいレコードが出ています。でも、ツアーを辞めてしまったためにヒットが無くなったんですよね。ツアーを重要視しなくなったわけですね?」

 

ア「XTCはみんなから無視され出したんですよ。イギリスではクラブとかそういう会場のライブをしなくなったら、もう僕らはこの世に存在しないバンドになってしまったんです。テレビ番組はほとんど僕らを招いてくれないし。

 

例えばTubeという番組が最終回の前にやってきてインタビューをされたんですが “XTCには過去一度も番組出演を依頼したことがないことに気が付いたんですよ” と言うわけ。そういうのが普通になっていて。メディアにとって僕らはいつの間に消滅した存在になってしまったんです。僕らのレコードはどんどん良くなっていったのに、残念ですよ。

 

イギリスではとにかく無視されてる。その一方、妙な事に、日本では僕らのキャリアはますます向上していきました。また、アメリカでは僕らの出すレコードは全部カレッジチャート、オルタナティブチャートでトップを飾っていました。アメリカのチャートは多様に分かれているからね」

 

イ「82年にツアー停止になりましたが、それはアンディが個人的にもううんざりしてバンドはツアーを辞めたということは良く知られています。時々、ステージに戻ろうと思ったりしますか?」

 

ア「いや、ないです。正直、元々バンドのフロントマンには全くなりたくなかったんです。どちらかというとキースリチャードみたいに、ステージでヴォーカルはやらず、ギターを弾いてるとか、作曲だけしているとか。注目を浴びるのは僕ではなく他のメンバーであってほしかった」

 

イ「でも、もし、アンディパートリッジがライブとかミニツアーをしたら物凄い反響があると思いますよ。みんなアンディのライブを観たいはずです」

 

ア「でもね、言ったように、元々“主役”にはなりたくないんですよ。XTCでフロントマンになったのはバンドの初期の設定でそうなっちゃった。コリンだって無理やり歌わせたわけ。 “このハーモニーラインでおまえも歌ってくれよ” って頼むと、コリンは “歌うなんて嫌だよ”、それで僕が “頼むから、歌えよ!” って無理やらせたんですよ。

 

本当に注目の的にはなりたくなかった。僕はそういうのが向いていないし、作曲をして、ステージの片方に立つ方が向いてるんです。でも、結局、初期設定でバンドのメインマンになってしまった。でも性に合わない。で、精神安定剤の中毒を完全に断ち切るためツアーを辞めないといけなくなったんです。

 

13年間中毒だった精神安定剤のようなヘビーな薬物を突然断ち切れば色々問題が生じるわけ。記憶障害とか。アメリカとかのツアー中にホテルで部屋から受付に電話して“212号室にいるお客さんは誰?”と聞くと“Mr. パートリッジです”と答えるのを聞いて“ああ、ありがとう”と答えて、初めて自分がその本人だと分かるわけ。

 

サウンドチェックの前に昼寝をするんだけど、ベッドから起きれない。膝の関節、ひじの関節が動かないとか。変な症状が出て来たんです。そして、パニック発作に襲われたんです。何なのか最初わからなかったんですが。ステージで発作が起こってきたんです。ミュージシャンにとって最も安全な場所のはずなのに。

あと、広場恐怖症(外出への病的な恐怖感)。家の玄関から外へ出れないんです。もうそうなったらリラックして休養するしかないでしょう。

 

さっきの将来ステージに戻る気はないですか?という質問だけど、多分そういう気にはならないでしょう。自分自身、年老いたロックンローラーを見たくないから。ちょっと悲しく思うんです。出っ張ったビール腹で禿げ頭の60代の男がステージでよろめきながら爺さんのヨボヨボ声で歌ってる姿なんて見たくないですから。どうせなら21歳のちょっと燃えてるエネルギッシュなロックンローラーの方を観たいですよ。ライブというのは若い方が飲み頃のワインみたいなものですよ」

 

イ「良い事言いますね。もう1曲。XTCジャムですから。どの曲をかけましょうか?」

 

ア「キーボードを使って作った初の曲。僕ら、マジカルな装置、メロトロンを買ったんですが、僕以外それを面倒みてあげる場所がなくて “アンディ、おまえんちにゲスト用寝室があるだろう。そこに突っ込んでおけよ” と言われて。ギターではほとんど何でも弾けるんですが、ことキーボードプレーヤーとしては僕の両手はまるで2房のバナナを鍵盤にのせるようなもの。僕はね昔、ボール紙製の手型を使っていた男ですよ」

 

イ「ボール紙の手型?」

 

ア「鍵盤で良い形を見つけたら、その手の形を崩さないまま台所に走って行って、ボール紙にマーカーでその手の指の形に沿って線を描くわけ。それがその曲の最初のコードなんです。他に方法がないから。他のやり方が分からないから。

僕はミュージシャンなんて言えないですよ。僕の場合、音楽ははらわた(直感)から出てくるんで、頭では作らないんで。

 

とにかく、そのメロトロンの子守をしてたんですが、響きが海辺っぽいんですね。僕は基本的にそういう風に作曲するんです。“この音楽は何を連想させるか?” 自分自身にその連想させるものを説明するんですが、“これは海辺だ。埠頭で聴こえてくるようなサウンドだ。でもちょっと人けのない、霧がかった埠頭だ。というのは多分冬だからだ。だから海岸は閉鎖されてる。だからちょっと物悲しく夢みたいなシーンだ” って。それで知らぬ間に歌詞が出来ているわけ。サウンドから連想されるものを自分に説明する過程で出来ちゃうんです。大半の曲はそうやって生まれたんです。この曲はSeagulls Screaming Kiss Her Kiss Herです。非常に誇りに思う曲です」

 

(Seagulls Screaming Kiss Her Kiss Herが流れる)