XTC Best Band Ever

XTC is the best band ever. Period.

2014年8月30日付Innocentwords.comのアンディパートリッジの最新インタビュー「バンドとして機能していた頃より現在の方がアルバムの売り上げが良い。世界はやっとXTCの良さに気がつき始めているのか?」

2014年8月30日付Innocentwords.com

アンディパートリッジの最新インタビュー

 

バンドとして機能していた頃より現在の方がアルバムの売り上げが良い。世界はやっとXTCの良さに気がつき始めているのか?

 

幼少期に親に褒めまくられた人なら芸術の道なんか選ばないよ。親に褒められたくて今音楽をやっている

XTCのメンバーとの関係は"ほぼ皆無"。テリーがイギリスに帰ってくれば一緒にセッションしたいのだけどね

 

 

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アンディ・パートリッジは天才である。 それは否定することは出来ない。 XTCを結成したメンバーであるだけでなく、著名なソロアーチストでありプロデューサーでもあるパートリッジは自分の音楽の遺産が末代まで人々に楽しまれるよう努力している。 (中略) 本インタビューで、パートリッジという人が、謎に包まれていると同時に親しみやすく、偉ぶらず、痛々しいほど正直な人であることがわかった。

 

XTCを共に結成したベーシストコリンムモールディングや他のメンバーとの関係は?と尋ねるとパートリッジの率直な答えは「ほぼ皆無です」。

 

「時々、E-メールを送り合う、それが僕らの間柄でせいぜい出来る最大の事。僕らの仲たがいはかなり酷いもんでしたよ。事情は言いませんがね。 デイブとの仲は、直接会うことはありませんが、以前より良好です。メールでのやり取りは前よりずっと軽くフレンドリーな感じ。 テリー(バンドを一緒に結成したドラマー)については、イギリスに帰ってくれさえすれば、いつだって一緒にセッションしたいですよ。彼にはいつも笑わせられますねえ…すっごいユーモアのセンスでさ」

 

幼いころから家庭では常に音楽があったというパートリッジ。

 

「音楽の影響は生まれてからずっとジワジワ受けていたのでしょうね。家で聴いていたラジオで掛かる音楽なら何でも。13才ぐらいまでレコードプレーヤなんてなかったので。好きだったのは、他の子供たちと同じく、ノヴェルティ(コメディ系の音楽)のレコードでした。ふざけた音、スピードを速めたヴォーカル、エコーやリヴァーブだらけ - そういう音楽。 このタイプの音楽はその後サイケデリックミュージックに"移植"されたんです。

つまるところ、それが十代の若者たち向けのノヴェルティミュージックにだったんですよね。 それから、マイケルテイラーという友人を通して、様々なアヴァンギャルドのジャズを発見し天井がぶっ飛んだってわけ」

 

アヴァンギャルドのジャズに魅かれながらも、ポップの方向へ傾いた理由は異性の注目を浴びたいからだった。

 

「それには、ギターが重要なカギを握っていた」と当時を回想する。

 

「それは、ビートルズから始まった。“オオッ! ギターを手にしているぞ。 俺だってマネしないと” 他の楽器には興味がなかったんです。今では違いますが。でも、当時はギターでなければならなかった。 だって、オーボエとか、トロンボーンとか、チェロやったって女の子はキャーキャーしないでしょ。 性的放縦さは6本弦付の真っ赤な男根像によって誘発されるんですよ....だから、それが欲しかった」

 

ビートルズ狂であるパートリッジと仲間は大好きなバンドのマネをした。誰がどのビートルの役をやるか決め、テニスラケットや、板や、使えそうな適当な物を持ってビートルズコンサートごっこをしていた。

 

「大抵公衆電話ボックスの近くの草地でやっていましたね」と面白そうに言う。 

 

「ギターが弾けて歌が書けるようにさえなれば、この公共団地(下層階級公共団地)から抜け出せて女の子達からキャーキャー言われるのだ、というのが徐々にわかってきたんですね。 女性にモテることが音楽を学ぶ大きな動機だったんです。 それが主な動機ですが…あと、両親から得られなかった褒め言葉が欲しくて、ですね」

 

途中、他のグループにも注目をし始めた...キンクス、スモールフェイゼス等。 そして、サイケデリックミュージックのシングル曲をラジオで聴いたパートリッジは実は全て繋がっていたことに気づく。

 

ピンクフロイドの"See Emily Play"とか、トゥモローの"White Bicycle"ですね。ノベルティロックなんですよ、実は - 幼少期に自分の好きだった音楽の続きなんですよ」

 

彼の作曲に関する考えには奥深いものがある。

 

「自分自身をあっと言わせるような曲作りを目指しているんです。年を取るほど難しくなりますがねえ。 [つまり、ほとんどのことは既にやってしまったので]; 曲作りにおけるサプライズという要素が自分にとっては非常に大切。僕はまだ(心は)子供なもので」

 「音楽をやって、金持ち、有名になるなんて甘い考えは捨てたほうが良いですよ。そういううぶな考えに染まっていた時期もあったけどね。やっとわかったんです。音楽をやるのは喜びのためだけだと。喜びを与えてくれるものならば、やるべき。 喜びがないならば、やめろ」

「でもね、音楽をやっているのは、実は、究極的には幼い頃に貰えなかったほめ言葉を得るためなんです; ほんのわずかで良いから "よし、息子よ、良くやった” って言葉をもらうためにね。幼少期にそのようなほめ言葉を一杯浴びまくって育った人なら芸術の道なんて選ぼうとはしないですよ。 僕はそういうほめ言葉なんて一切もらえなかった。だから、今こういうことをやるはめになったわけです」

  

ライブについて。

 

「ツアーをするのにほとほとうんざりして。何しろ、ツアーをしてると休暇も無い報酬も無い状態で(例の悪徳)マネージャーに死ぬほどこき使われていたんです。これは大げさでもなんでもなくて、本当にXTCは5年間のライブショーから一銭ももらっていなかったんですよ」

「その上、長期に渡るUSライブツアーの真っ最中に、元妻が僕の精神安定剤の全錠剤を捨ててしまってね。自分でも知らぬ間に中毒になってしまっていたのですが。

母が心の病を患ったために引き起こった僕自身の問題への対処として12~13の頃、医者から処方箋としてもらったのが始まりだったんです。

母の問題についてはあまり話をしたくないのですが、あえて言うなら、母は心の病に苦しみ、そのために家庭は崩壊寸前のダメージを受けていました。それはもう非常に深いダメージだった。

ま、とにかく、精神安定剤依存症だとは全く自覚がなかったんです。当然、そんな風に依存を急に断ち切るのは最悪なやり方ですが、実は、その後の6か月は、思考力が明晰になり、永遠に終わりの無いツアーをやめることを決意しましたね。問題は、レコード会社とマネージャーがそうはさせない、ということでした」

 

ソングライターでありツアーミュージシャンである彼に禁断症状は思わぬような最悪の形で現れた…パニックアタック広場恐怖症辺縁系発作、記憶障害に襲われたのだ。

 

「もうツアーはやりたくなかった。なのに、強制的にやらされたわけです。当然、その結果....身体が言う事を聞かなくなった。 (1982年のイングリッシュ) セトルメントは、ツアーで演奏する必要はないという考えで曲が書きレコーディングしたんです。依存症の頃より、思考がはっきりしてきたんですよ。

ブライアンウイルソンのようにやっても良かったんですがね。つまり、僕が曲を書き、それをレコーディングして、他のメンバーが僕の代理を伴ってツアーをするというやりかた。でも、誰も賛成してくれませんでしたよ。ツアーを停止したおかげでXTCの音楽は向上したのは間違いないです。考えながら録音する時間が出来たわけだから。急かされなくてもよくなったのですからね」 

「ライブパフォーマンスについて物凄い反対しているわけではないんです。ストレスがあまりにも大きいのでやらないことにしているだけなんです。自分の家より愛すべきところはないですから。(英語のことわざ:我が家とは心がこもったところ)ホテルとか、飛行機とか、バス、ドレッシングルームとか、もう死ぬほど嫌でね。

実は、もともと他の人のライブを観るのも好きじゃなかったんです。どのライブに行っても、いつもガッカリして帰ってきてたから。自分の期待に答えてくれたライブなんてありませんでしたよ。歌はいまいちだし、照明、あるいはサウンド、あるいは着ているものは最低だし、わからないけど、ライブにはいつも何らかの理由でガッカリさせられてきました。 まあ、たぶん、自分の基準がとてつもなく高すぎるのだろうな」

 

ロンドンの西に向かって約80マイルほどのところにあるSwindonで生まれ育ったパートリッジ。問題無く、今までずっとそこに住み続けてきた。

 

「問題無いですよ。"物笑いの種"の町出身だということで "田舎者”ってからかわれる以外はね」とパートリッジは微笑む。

 

「ロンドンに住もうとは思いません。 当初、マネージャーはロンドンに移れと僕らを説得しようとしていましたがね。でも、引っ越す金なんかなかったし、あそこでの生活のペースが好きになれなかった。Swindonにいて逃げ出せないみたいな気持ちになったりしませんよ。数分でのどかな田園風景があるし、屋根裏からは白亜の丘を眺めることが出来ますし。

それに、Swindonでは人の注目を浴びないので助かる。誰も僕なんか見ても騒ぎ出す人いないし。僕はただのイギリスの物笑いの町に住む哀れな間抜け野郎でしかないのでね。Swindonという町は完璧というには程遠い町です。それどころか、実は肥溜めの町と言える…が、少なくともそれは僕の肥溜めですから。Swindon市観光局向けの発言はさて置いて、最近はここより、素晴らしい美と喜びの町、Bath市で時間を過ごすことが多いです」

 

彼は自分の興味あることを追求し、プロジェクトには常に多様性と挑戦を求め続ける永遠に学び続ける人だ。 時には一度も試したことの無いずっとやってみたかったプロジェクトもある。Powersの純粋なエレクトロニック音楽、またはMonstranceのインプロビゼイション等だ。

 

「いつもとは異なる音楽的な試みを行うのが好き。でも、おそらく、自分の強みは "歌" なんだとわかっています。プロジェクトに関しては、金銭的報酬に惹かれて引き受けることがあります。そういう場合、たいてい上手くいかないね。プロジェクトにどうしてものめり込めないので…プロジェクトに夢中なのは自分の財布だけ…もし、上手く行かなくなったとき問題を片付けるなんて厄介だし。

レコーディングのプロデュースはしばらくの間、楽しかったけど、もう疲れました; 僕にはソーシャルワーカーになる素質なんてないんですよ。やれ、ベーシストとドラマーが喧嘩しただの、ギタリストがアル中でセッションに来る気がないだの。そういうのを面倒見てあげるような辛抱強さなんてないんで。そういうすべてのことに辛抱できないんですよ。」 

「言いたいのは、自分の心が望むことをやれってこと。そうすれば、どんな事があっても頑張れるから」

 

彼は、意識して、あるいは意識さえせず、常に時代を先取りし己のルールに従ってやってきた男だ。現在は、他のミュージシャンのために曲を作ったり、興味深いプロジェクトを手がけたり、期限付き賃貸借契約をEMIと結んだXTCのアルバムカタログの管理者を務めている。

APE(Andy Partridge Enterprises) を設立したのは、その為である。と同時に、新しい才能あるアーチストを育むためであった。最近、APEでは極性修正版Skylarkingをリリースした。既に素晴らしかった1986年リリース版がさらに途方もないほど改善されたバージョンである。この後もさまざまなリリースが続く。

 

XTCの全アルバムがスティーブンウイルソンによって5.1chサラウンド化され、見た目も、聴いた感じもこれ以上あり得ない程、最高になります」とパートリッジは熱心に語る。「あくまでも、EMIが(マスター)テープを見つけることができれば、の話ですが。奇妙な事にバンドとして機能していた頃より、現在の方が成功しているんですよ(アルバムの売り上げが良い。) 世界はやっとXTCの良さに気がつき始めているのでしょうかね?」

 

(注:杜撰なマスターテープ管理のために、EMIでは、現在、多数のテープが紛失中。昨年リリースされたNonsuchと10月に出るDrums & Wiresの5.1chはEMIがなんとかテープを全部発掘出来たので実現できた。今後もテープが発掘出来たアルバムの順に5.1ch化される。)